駐在員・事務局員日記

日本に渡ってきた難民や定住外国人のための研修会に参加しました

2011年09月06日  日本
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執筆者

東京事務局
宮崎 淳

2011年9月より東京事務局勤務。大学院で政治学を学び、公共機関で勤務したのち、英国の大学院で紛争解決学を専攻。帰国後、NGO勤務などを経て難民を助ける会へ。(大分県出身)

記事掲載時のプロフィールです

難民を助ける会の姉妹団体・社会福祉法人「さぽうと21」では、日本へ渡ってきた難民や中国からの帰国者、日系人とその子弟など、定住外国人への相談や学習指導、生活支援を行っています。毎年夏にはお互いの意見交換や悩みを相談し合う場として研修会を実施し、難民を助ける会のスタッフも、講師やワークショップの進行役を務めるなどのお手伝いしています。
今年の研修会は、「被災地支援の現場から-私たちの理解・実践を考える夏-」と題して、8月の13日~15日の3日間、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催。関東はもちろん、関西、遠くは高知から41人もの高校生から大学院生までの若者が参加しました。東京事務局の宮崎淳が報告します。

難民、外国人としての気負いなく、自然体で

夏期研修会1日目、登壇者の話を熱心に聞く支援生たち

元カンボジア難民の方(右)の話を熱心に聞く支援生たち

初日、高橋敬子・さぽうと21事務局長による挨拶のあと、元難民でカンボジア出身の男性が、ご自身の難民としての体験や現在の思いなどを語られました。
続いて、難民を助ける会事務局次長の大西清人より、難民を助ける会のこれまでの活動、そして今回の研修の大きなテーマである東日本大震災の被災地での活動について報告しました。
その後、参加者とさぽうと21スタッフによる面談が別室で行われました。若者たちは、いずれも苦労しながら生活支援を受けて暮らしているため、日頃困っていることや悩みがある人はそこで個別に相談することができます。私は彼らの入室案内係として、面談までの待ち時間にたくさんお話をすることができました。国籍や出身地などの話から海外旅行の話に発展したり、学校やご近所の話題で盛り上がったりと、楽しい時間を過ごすことができました。またレクリエーションも行われ、参加者たちは「伝言ゲーム」などで盛り上がりました。

都内の要所を見学し、みんなで記念撮影

社会見学の後、みんなで記念撮影

2日目、研修参加者はバスで社会見学に出かけ、東京消防庁の防災館で実際に地震の揺れを体験したり、国会や、尾崎行雄(難民を助ける会創設者・相馬雪香の父)記念館などを見学して回りました。夜には、さぽうと21の支援を受けている大学院生が自主制作した映画を鑑賞。参加者と同じような境遇の、海外にルーツを持つ子どもたちを描いている映画で、見終わった後は自分の体験と重ね合わせたり、自分よりも過酷な体験をした仲間たちがいることに驚いていました。

「私たちを育ててくれた日本のために、少しでも役に立ちたい」

被災地のために何ができるか話し合いました

被災地のために何ができるか話し合い、発表しました。(左から2人目が難民を助ける会の宮崎淳)

最終日には、高校生、大学生・専門学校生、大学院生に分かれて「東日本大震災の被災地に対して、私たちに何ができるのか」をテーマにグループワークを行いました。私は大学生・専門学校生グループに参加しました。私の隣に座ったのは、日本生まれ日本育ち、現在大学1年生のベトナム難民2世の男子学生でした。日本語も流ちょうで見た目も日本人の若者と同じようなので、最初は日本人の学生ボランティアだとばかり思っていたほどでした。

私はこのグループのファシリテーターを務めました。参加者たちは、震災当日の自分自身の思いや、被災地に対して十分貢献できない苛立ちなどを次々と述べてくれました。中には、「外国からやってきた自分を育んでくれた日本がこんなことになってしまい、少しでも役に立ちたい」と涙ながらに語ってくれる若者もいました。

今回、私が出会った若者たちは、みんなエネルギーに満ち、私たちが圧倒されるようなバイタリティにあふれていました。私たちには語らない、辛い経験を持った人もいるでしょう。しかし外国から日本に渡ってきたがゆえに日本語と祖国の言語を流暢に話せる人もいれば、それぞれの国の事情に精通している人もいます。そして彼らの多くは、そうしたメリットを生かして、前向きに生活しています。

そんな彼らに出会って刺激を受けた、実に貴重な3日間となりました。

姉妹団体「さぽうと21」についてはこちら

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