駐在員・事務局員日記

「私がAARを選んだ理由」粟村友美-これから国際協力の分野を目指す人たちへ(10)

2015年07月15日  職員紹介
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執筆者

ザンビア駐在員
粟村 友美(あわむら ともみ)

2013年5月より東京事務局でハイチ、東北、ザンビア事業を担当後、2014年5月よりザンビア駐在員。大学卒業後、小規模農民支援NGOでインターンとして活動。帰国後民間企業などで働きAARへ。趣味はダンスと旅行(石川県出身)

記事掲載時のプロフィールです

AARのスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第10回はAARザンビア駐在員の粟村友美です。冷静沈着に仕事をこなす一方で、週末には国内外への旅行を楽しむなどアクティブな彼女がAARに入ったきっかけは?(聞き手:広報担当 伊藤)

小学校で見たドキュメンタリーに衝撃「なんとかしたい」

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「子どものとき、フィリピンのストリートチルドレンのために何かしたいと思ったのがきっかけです」(2015年6月)

Q.国際協力に関心を持ったきっかけは?

小学校4年生のときに、テレビのドキュメンタリー番組でフィリピンのストリートチルドレンについて知ったのがきっかけです。自分と同じような年齢や、自分より小さい子どもたちが貧困のなかで必死で生きている姿に、子ども心に「なんとかしたい」と思いました。私は単純な性格なので(笑)、それ以来ずっと「国際協力の道に進もう」と思い続けました。

国際協力に関わるには日本で一番英語を勉強できる大学に行こうと、これまた単純に考え(笑)東京の国立大学に入りました。そこでは英語はもちろんのこと、国際問題や地域社会について学ぶ授業もたくさんありました。その中でモザンビークの紛争と女性史を専門にする教授と出会い、アフリカの貧困問題について、より深く学ぶようになりました。

「何もできない・・・」マラウイで自分の無力を実感

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ジョリー(写真奥)との出会いによって、国際協力の道に進もうとあらためて決心しました(2008年12月 マラウイ)

Q.大学卒業後、すぐに国際協力の仕事に就いたのですか?

いいえ、まずは民間企業で働き経験を積もうと思いました。でも社会に出る前に自分の目でアフリカを見ておきたくて、マラウイのNGOで半年間インターンをすることにしました。活動内容は、現地の農民を支援する小さなNGOを能力強化の面からサポートするというものでした。

しかし、半年活動してみて、正直何もできない自分がいました。ほぼ活動休止状態にあったそのNGOが活動を再開できるよう多くの団体に資金提供をお願いする申請書を送るも通らない。ほかのNGOに声を掛けてもちっとも相手にされないなど、本当に何も形にすることができず、落ち込みました。

それでもこの道を進もうと思った理由は、そこでの出会いにありました。私が所属していたNGOのネットワーク団体のひとつで働いてたジョリーという男性。彼も自団体の活動資金が底をついてしまい、1年ほど無給で働いていました。それでも精力的に活動する彼に、「なぜそんなにがんばれるの?」と聞いたところ、「もちろんお給料がないのは厳しいけれど、この活動はマラウイのためになるし、価値があると思っているから」と話してくれたのです。

途上国というと、貧困に苦しむ弱い立場の人たちばかりとか、援助慣れして自立心を失っているとか、そんなイメージもあります。でもこんなに自分たちの社会を良くしようとがんばっている人がいるんだと知り、衝撃を受けました。こういう人を応援したいという気持ちは、自分が何もできず落ち込んでいても、変わらなかった。そのとき、やっぱり私はこの道を進むんだ、と思いました。

初のハイチ出張で「駐在員っておもしろそう!」

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ハイチ出張時、AARが支援した学校の子どもたちと(2013年12月)

Q.帰国後はどんな仕事を?

学生時代にアルバイトをしていたご縁で、広報系の国際協力NGOに就職しました。その後、細々と翻訳業をしたり、民間企業で働く経験もしたいと北欧雑貨を扱う企業の営業職に就いたりしました。そしてそろそろ国際協力の分野に戻ろうと、2013年5月にAARに入りました。大学時代にAARのスタッフが大学へ講演に来てくれたことも頭の片隅にあり、受けてみようと思ったのです。

AARでの初めの1年間は、東京本部でハイチ事業や東日本大震災の復興支援事業に携わりました。ベテランの先輩のもとで、仕事のノウハウを学ぶことができました。2013年12月、初めてハイチに出張したのですが、そのときに駐在員の仕事を間近に見て、「これは楽しそう!」と思ったのです。東京での業務はある程度、次に何が起こるか予測ができます。でも海外駐在員の業務は日々何かしら問題が起き、決して思い通りに進まない。でも、その「答えが出ない」ところがおもしろいなと。そして、いつか私も駐在員として現場へ行きたいと思うようになりました。

「無償でがんばる人を応援したい」

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エイズで親を失った子どもたちの支援も大事な活動です。AARが支援する学校で(2014年11月 ザンビア)

Q.そして念願の駐在員に?

私の希望を聞き入れてもらえ、2013年12月からアフリカのザンビアへ赴任しました。ザンビアはいいところもたくさんありますが、たくさんの課題も抱えています。そのひとつがHIV/エイズです。ザンビア国内には96万人の感染者がいて、国民の約8人にひとりが感染している計算になります。エイズは今では不治の病ではありませんが、エイズの発症を防ぐためには抗レトロウイルス薬(ART)を一生涯決まった時間に飲み続けなければなりません。1日2回の処方薬の場合、10日に1度の飲み忘れで薬の効果が減退してしまいます。そこで私たちは患者が薬を飲み続けられるよう、患者一人ひとりに呼びかけを続ける地域ボランティアを育成しているのですが、ここでも日々素晴らしい出会いがあります。

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地域ボランティアのシベソ(左)と、AARスタッフのシャロンとともに木陰でひと休み(2014年11月 ザンビア)

ボランティアの大切な役割のひとつが、クリニックの予約日に来なかった患者を訪問して、来院するよう促す、という家庭訪問活動です。ボランティアのシベソという女性はこの家庭訪問を本当に熱心にやってくれていて、自分の担当する患者が来院するしないに関わらず、患者のもとを定期的に訪れています。

ある日、患者対象のワークショップを彼女の担当地域で行った際、患者のひとりが、どれだけシベソに感謝しているかを話してくれました。その患者の娘が体調不良のときシベソが何度も家を訪ね、HIVの検査をした方がいいと勧めてくれたそうです。その娘も患者もなかなか重い腰を上げなかったのですが、何度も訪問し説得した結果、その娘は検査を受け、HIV陽性だと判明。すぐに治療を始め、現在では体調が良くなったそうです。「シベソが説得してくれなかったら娘はどうなっていたか...」と、その患者は心から感謝していました。

現場にいると、自分の暮らしが苦しくても、ジョリーやシベソのように、ほかの人のために真摯に生きる現地の人に出会えます。そういう人たちの気持ちを応援し、その人たちのやりたいことを実現できるように手伝うのが、外部者である私たちにできることなのではないでしょうか。

「やらずに死んだらもったいない」

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「迷ったら、まず行動を」(2015年6月)

Q.これから国際協力の仕事を目指す方たちにぜひアドバイスを。

私が国際協力の道を目指すと言ったとき、周囲には反対する人もいました。「社会の辛さも知らずに国際協力なんて」「あなたにできることなんてあるの?」と。でも、やらないで悩むより、やってから悩んだらいいと思うんです。迷った末に、何もやらないまま死んでしまったら、もったいないですから。

国際協力には、国際機関で働くとか、今であればソーシャルビジネスをやるとか、いろんな道があると思います。でも、現地の人と長くつき合いながら活動するなら、私はNGOがいいなと思います。がんばる人の後ろに立って背中を支えていくようなことが、NGOであればできると思うから。

「今の仕事を辞めて国際協力の道に進みたいけれど、どうしようかな」と迷っている人がいたら、まずは一歩を踏み出してほしいです。とりあえずこの世界に飛び込んでもいいし、事前に準備をしてからでもいい。私自身は何度か仕事を変えてからこの世界に入りましたが、これまでの経験が今の仕事にすべてつながっているので、回り道かもしれないけれど、それで良かったと思っています。今別の仕事に就いている方にも、ぜひ国際協力の仕事に挑戦してほしいですね。

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