活動ニュース

障害者理解のためのイベントを開催しました

2008年07月08日  啓発障がい者支援
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途上国に生きる障害者の現状を日本の方たちに知ってもらおうと、難民を助ける会は、アクセンチュア株式会社の支援を受け、ミャンマー(ビルマ)、ラオス、アフガニスタンから障害者自立支援に携わる4名を招へいし、約10日間(6月13日~22日)にわたって各地でイベントを開催しました。その様子をご報告します。

各地で報告会や交流会を開催

日本ではじめての報告は・・・

最初に報告をした刈谷ルーテル教会。参加者のあたたかな眼差しが、招へい者達の緊張をほぐしてくれました

難民を助ける会が招へいしたラオスのケンポンさんら4名は、刈谷ルーテル教会(愛知県)、三本柳小学校(長野県)、頌栄女子学院および難民を助ける会の通常総会(東京都)にて、自国の障害者がおかれている実態について報告しました。「差別や偏見があり、自国政府からの支援も十分ではない」「障害者の社会参加が著しく遅れている」と訴える一方、難民を助ける会の障害者自立支援が、障害を持つ人たちに希望を与えているとの報告もありました。

国際人権シンポジウム

早稲田大学では多様なゲストともに報告

早稲田大学小野記念講堂でのシンポジウム。手話通訳や複数言語への同時通訳も行われました。

6月17日、早稲田大学小野記念講堂(東京都新宿区)で、早稲田大学グローバルCOEプログラム「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」と共催した国際人権シンポジウムでは、4名の報告に加えて中西由起子氏(アジア・ディスアビリティ・インスティテート代表)による基調講演、土橋喜人氏(国際協力銀行開発セクター部社会開発班)によるコメント、パネルディスカッションもありました。
中西氏による基調講演「権利条約で変わるアジアの障害者」では、第1次、2次の「アジア太平洋障害者の十年」を通して意識が変わってきた国々で、障害者の権利条約の実施に向けた環境が整いつつあることが報告されました。障害者はいまや途上国においても障害の種別を越えて自立生活運動を発展し、力と自信をつけた障害者による権利を基盤とした時代の到来への期待も語られました。

土橋氏からは、国際ドナーや日本政府レベルでの取組の現状、および日本のODA事業の事例として、バンコク(タイ)やデリー(インド)で導入されたバリアフリーデザインの地下鉄の例が報告されました。
当日は、手話通訳とミャンマー語通訳、英語・日本語の同時通訳の方々にもご協力いただき、関心のある方々がより多く参加できるよう準備。約180名にご参加いただき、終盤の質疑応答では、手話による質問も寄せられるなど、充実した議論がなされました。
終了後回収されたアンケートには、「障害を持つ人自身が、積極的に社会を変えようとしている姿に、暗いイメージが払拭された」「生の声を聞くことができる貴重な経験だった」との声が寄せられた一方で、「もっと具体的な話を聞きたかった」「身体障害者だけでなく、知的・精神障害者についても言及して欲しかった」とのご意見もいただき、今回のテーマへの関心の高さをうかがい知るとともに、次回に繋げるための改善点も得ることができました。

日本への理解を深めた4名

研修にも励みました

障害をもつ人たちが働く「デンソー太陽株式会社」を見学させていただきました

4名は、約10日間の滞在中、報告会のほか、障害者が働く施設「太陽の家」「AJU自立の家」(ともに愛知県)を訪問。また、それぞれが専門とする分野の施設・大学などでも交流と学び合いの場を持ちました。
国際医療福祉大学(栃木県)を訪れたアフガニスタン人職員(理学療法士)は、「理学療法の他、作業療法や言語療法など治療分野が多岐にわたっている。また、修士課程などの高等教育の充実も大変興味深い」と自国との違いに驚いていました。

今回のイベントが、日本の方々に途上国の障害者の現状を知ってもらうきっかけになればと願っております。

招へい者4名の報告

ミャッモー(ミャンマー(ビルマ))

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ミャッモー氏

28歳のときに地雷を踏み、右足を失いました。その後、難民を助ける会の職業訓練校で理美容の技術を身につけ、現在は同校でチーフ講師を務めています。
ミャンマーでの障害者を取り巻く環境は、少しずつですが改善しています。しかし、地方ではいまだに差別が残っています。また、障害者に関する法律はまだなく、現在草案段階です。
障害を持つ私自身が社会活動に参加し、頑張ることで、周りを勇気付けることもできています。
私たち障害者でも、機会さえ与えられれば、職務を遂行できます。私たちの能力に目を向けてください。私たち障害者と一緒に手と手を取り合っていきましょう。
ミャンマーにおける障害者の経済的・社会的自立の実現、そして機会が平等に与えられる社会を作ることが、私の夢です。

ケンポン・トンシタウォン(ラオス)

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ケンポン・トンシタウォン氏

幼少時に患ったポリオの後遺症で左足に障害があります。現在は、国際NGO「ハンディキャップ・インターナショナル」の職員として、首都ビエンチャンで働いています。
障害者が工芸などの技術を身につけ、就職するまでのサポートが私の仕事。また、障害を持ち、困難な生活を送っている人々の生活支援も行っています。
障害を持つ人々が、自立して生活するため、彼らの努力を影で支えたい。
すべての障害者が幸せに、自立生活を送れるようになって欲しいと願っています。

シリソンスック・スンダラ(ラオス)

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シリソンスック・スンダラ氏

ラオスで脳性マヒ児のための施設を設立、運営しています。私の息子が脳性マヒですが、そのための施設がなかったため、自分で設立しました。
ラオス政府には、障害者支援のための資金がほとんどなく、専門的知識を持った人材もあまりいません。障害者へのケアが不十分で、特に障害児へのケアが足りていません。
大勢の子どもたちが、私の支援を必要としています。障害に関係なく、子どもと家族が将来に希望を持てるようになって欲しい。そして、すべての障害者、健常者が社会の一員として幸せに暮せる日が来ることを目指しています。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局  内山 麻希

2008年4月より東京でラオス事業を担当。大学、大学院で行政学を専攻。JICAのインターンとしてエチオピア、青年海外協力隊員としてマラウイで活動した後、難民を助ける会へ。青森県出身

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