活動ニュース

ミャンマーサイクロンの被災地で生計支援活動を開始しました

2009年09月29日  ミャンマー緊急支援
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難民を助ける会では、2008年5月2日にミャンマー(ビルマ)を襲った大型サイクロンによる被災者12万人への緊急支援を行ってきました。サイクロン発生から1年が経過した2009年5月から、復興支援の一環として、生計支援の活動を行っています。

「被災前よりもより良い生活へ」 農業・漁業・家畜の支援をします

子豚を受取り、嬉しそうにボートで我が家へ向います

配布された子豚をボートで持ち帰る受益者。配布する村は車輌でのアクセスができず、輸送には船やボートで行います。(ボーガレー地区、2009年6月27日)

難民を助ける会では2008年5月2日の被災直後から8月31日までの約4ヵ月間、米などの食糧、生活用品、ビニールシートなどの緊急支援物資を、より支援の届きにくい奥地の被災者や障害を持つ被災者を中心に、約9万人に配布しました。2008年9月からは、船やボートを使わなければ行くことのできないような交通アクセスの悪い被災地を中心に、保健医療サービス・心のケア、栄養改善(食糧・肥料の配布と栄養教育)、障害者支援という多面的な支援活動を、専門家チームが巡回しながら行いました。

サイクロン被災から1年が経過した現在も、被災地では田畑の塩害のための収穫量の減少や、農業・漁業の仕事道具や家畜の被害への支援不足から、食糧支援に依存したその日暮らしの生活が続いており、米が必要だという声が聞かれます。それにも関わらず食糧支援などの緊急支援は減少の傾向にあり、被災地に生活する人々は、少しずつお金を借りながら少量の米を買い、一日一日をしのいでいます。こうした地域では農業・漁業といった従来からの生計手段を復旧させ、地域の雇用を促進することが求められています。難民を助ける会では、生活再建への支援を求める被災者の声に応えるため、生計支援活動を開始しました。サイクロンで被災した貧しい世帯や女性世帯を中心に、農業、漁業、家畜の支援を行っています。

家畜が生活再建の一歩につながります。

子豚を配布する久保田駐在員(左)

船の上で一人ひとりに子豚を渡していきます。(ボーガレー地区、2009年6月27日)

ミャンマーでは、貧しい農民にとって家畜が重要な収入源です。農地を持たずに農業の手伝いなどの日雇い労働をする貧しい世帯でも、家の横の小さなスペースで育てることができるからです。サイクロンと同時にミャンマー南部エヤワディ管区の沿岸地域一帯を襲った高波により、こうした家畜が流され多くの貧困世帯が生計手段を失いました。

難民を助ける会では、世界食糧農業機関(FAO)と協力して、最も深刻な被害を受けた地域であるエヤワディ管区のラプタ、ボーガレー、モウラミャインジュンの3地区において、699世帯を対象に水牛238頭、子豚360匹、鶏200羽、あひる200羽の配布を行っています。

わずかな米で食いつなぐ日々。水牛の支援で「明日への希望が見えました」

5歳の孫と83歳の母親を養わなければならないドン・キン・サンさん

水牛を配布したドン・キン・サンさん(54歳)の家に残っている全ての米。粥のように薄めて少しずつ食べています。(ボーガレー地区、2009年6月27日)

ドン・キン・サンさん(54歳)は、現在5歳の孫と83歳の母親の3人暮らし。サイクロンで息子さんと娘さんの2人を亡くしました。

サイクロンの後、米や日用品、ビニールシートなどの支援を受けることができましたが、昨年9月で全てが終了してしまい、毎日の食糧はお金を借りて賄っています。

草葺の暗い家の中には、ざると布に入れられたお米があるだけで、そのお米を毎日少しずつ食べているそうです。以前は水牛と農業労働者を雇って農作業を行っていましたが、サイクロンで水牛を失くしたため、田んぼを耕すための機械を借りなくてはならず、借金と共に不安も膨れ上がっていく日々です。

「やっと、生活の見通しが見えてきました」

「水牛の配布を受け、機械を借りずに農作業が行えます」と少し安心した様子のドン・キン・サンさん(54歳)(ボーガレー地区、2009年6月27日)

けれども、難民を助ける会から水牛の配布を受けてからは、毎日機械を借りる必要がなくなりました。「これからは以前のように労働者を雇って農作業をしていくことができます」、と安心した微笑を浮かべていました。

一匹の子豚が、村を貧困から救います

受取った子豚を柵に入れ、嬉しそうなミャー・ミャー・カインさん母娘

子豚を受け取ったミャー・ミャー・カインさん(17歳)母娘。将来の夢は縫製のお店を開くことだそうです。(ボーガレー地区、2009年6月27日)

ミャー・ミャー・カインさん(17歳)は現在母親と二人暮し。サイクロンでは母親と家の2階に逃げたので助かりましたが、外にいた父親は間に合わず、流されて亡くなりました。飼っていた3匹の豚も流され、被災後は、家にあったミシンで裁縫をして生計を立てていましたが、そのミシンが故障してからは、ミシンを修理するためのお金がなく困っていました。

難民を助ける会からの子豚を2匹受け取ると、うれしそうに、小さい身体で、しかし慣れた手つきで小屋に運び、水をやっていました。6ヵ月後に大きく育った豚は、子豚の6倍ほどの値で売ることができるだけでなく、子豚をたくさん生み、今度は村の他の世帯に配布することができます。こうして一匹の子豚が村の貧しい被災者の生活再建につながっていきます。

サイクロンで家畜を亡くし、新しい生活を始める一歩を踏み出すことができずにいた被災者にとって、家畜の一頭、一匹、一羽が今後の希望につながり、次の一歩へ進むことができる助けとなっています。今後も難民を助ける会では、農業や漁業を再開する一歩を進めずにいる被災者に対して、種子や肥料、魚網や蟹捕り籠を配布し、また塩害の影響を受けた地域での農業・漁業の技術トレーニングを実施していきます。

※この活動は、多くの方からのご寄付に加え、世界食糧農業機関、および日本政府からの日本NGO連携無償資金協力の助成を受けて行っていきます。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

ミャンマー事務所 久保田 和美

2009年8月よりミャンマー駐在。イギリスの大学院で開発学と教育学を学んだ後、在外公館にて勤務後、国際協力事業の運営に直接関わりたいと、難民を助ける会へ。(東京都出身)

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