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【東北関東大震災(8)】小学校や民家に避難した方々へ食料などを届けました

2011年03月18日  日本緊急支援
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困難な海寄りの地域への道

鹿妻小学校への支援物資をおろします

鹿妻小学校で、避難している方々と一緒に食料や毛布などを降ろします(赤いジャケットを着ているのが難民を助ける会の杉澤芳隆)

難民を助ける会は、東北関東大震災の被災者支援のため、緊急支援チーム7名を派遣しています。3月17日(木)は2組に分かれて支援物資の配付を行いました。
加藤、石橋、杉澤の3人のチームは、朝9時、支援物資を積んだトラックとともに石巻へ向けて拠点の仙台市を出発しました。最初の目的地は石巻市の鹿妻(かづま)小学校。昨日石巻市の障害者施設を訪れた際、避難所となっているこの小学校で物資が不足しているという情報を受けていました。
1時間ほどで石巻市に到着。市の中央部に至る幹線道路は比較的被害が小さく、車で通ることも容易なのですが、鹿妻小学校のある海よりの地域に向かおうとすると、津波の被害の跡がそのまま残っています。積み重なる自動車、中までめちゃくちゃになった民家、そして足元には潮のにおいのする泥。津波の威力の大きさに呆然とします。
ちょうど鹿妻小学校に向かうという自衛隊の車両に出会ったので、先導してもらいます。

避難所にいる方々とともに支援物資を配付

正午ごろ、ようやく鹿妻小学校に到着。ここには約1600名が避難しています。トラックを正面玄関に停めて、すぐに支援物資を運び出します。お米やカロリーメイトなどの食品、飲料水、毛布、防寒用アルミシートや紙おむつなどを次々とトラックから降ろしていると、避難所にいる方々が手伝ってくれました。
すべて降ろし終わると、配付の作業は避難所の皆さんにおまかせし、私たちはすぐに次の避難所に向かいます。

民家でも被災者を受け入れ。しかし・・・

その後、小学校から車で5分ほどのところにある集会場へ行き、支援物資を渡しました。ここには100人ほどが避難しています。
さらに車で5分ほど行った渡波(わたのは)際(きわ)地区では、市内でも比較的海から遠く津波は届かなかったため、民家はほぼ無傷で残っています。自宅を失った海沿いの住民の方々約300人が、この地区に住む知人などの家に身を寄せています。この方々への支援物資は、区長にまとめてお渡ししました。
こうした小規模な集会場や民家に身を寄せた方たちは、畳があるから体育館の避難所より快適だ、と言いますが、支援物資は届きにくいのが現状です。被災地全体が深刻なガソリン不足で車が使えないため、特に高齢の方々は避難所まで物資を受け取りにいくことも困難です。

支援物資を配付した場所では、どこでもとても喜ばれました。しかし、今後も避難生活が長引くことを考えると、継続的な物資配付が必要になることは明らかです。
また、どこにどのくらいの避難者がいて、それぞれの場所では何が最も必要とされているのか、という情報が行政でも集約しきれていません。電話がいまも通じない施設もたくさんあります。どの避難所も非常に切迫している中、どこから先に支援を届けに行くべきか、とても難しい判断を日々せざるをえません。

※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。また、ジャパン・プラットフォーム(JPF)からの助成も受けています。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。

緊急募金にご協力ください

皆さまのお気持ちを、被災された方々に確実にお届けします。どうぞご協力をお願いいたします。

郵便振替: 00100-9-600 加入者名: 難民を助ける会
*通信欄に「東北関東大震災」とご記入ください。*領収証が必要な方はその旨お書きください。

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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 杉澤 芳隆

2010年5月より東京事務局勤務。主に国内事業を担当。大学卒業後、民間会社に勤務後、難民を助ける会へ。2010年パキスタン洪水緊急支援活動に従事。(茨城県出身)

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