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シリア:「学校へ行きたい」子どもたちの願いを叶えるために

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2011年3月に起きた反政府デモから拡大したシリアの内戦。国連によるとこれまでの死者数は7万人、国境を越えるシリア人の数は100万人を超えました。トルコへ逃れる人々も増加の一途を辿り、国連によると2013年3月18日現在で40万人に達しています。AARは、2012年10月より現地協力団体のSTL(Support To Life)とともに、トルコ南部ハタイ県でシリア難民支援を実施しています。

シリア人の家庭は子だくさんで、大勢の子どもたちがトルコに逃れています。しかし、避難先で教育の機会がなく、財政的にも厳しい生活を余儀なくされています。そこで、2013年2月14日より、緊急支援物資の配付に加え、教育支援を開始しました。現地に出張中の東京事務局の雨宮知子が報告します。

「戦後復興を遂げた日本のように、シリアを建て直したい」

AARの配付した教材を手に取り喜ぶシリア難民の子どもたち

「私だけのノートよ」AARの配付した文房具を受け取り喜ぶシリアからの子どもたち(ハタイ県 2013年3月14日)

シリアでは戦闘によりほとんどの学校が閉鎖されたため、子どもたちは何ヵ月間も家で過ごさなければならず、勉強の機会を失いました。避難先のトルコでも、言葉の壁(トルコはトルコ語、シリアはアラビア語です)があり、多くの子どもたちが学校に通うことができません。 そんな子どもたちのために、ハタイ県にはシリア人が自ら設立し運営している学校があります。

いつ訪れても子どもたちは元気いっぱいで、楽しそうに授業を受けています。しかし、アラビア語の教材や文房具を持っていない子も多く、授業が始まるときに先生から鉛筆を借りる子もいます。こうした学習環境を改善するため、AARでは計1,350人の子どもたちにノートや鉛筆、消しゴム、定規などの文具一揃いを配りました。

校長先生は「祖国シリアは紛争によりすべてが破壊されてしまいました。けれども、戦後めざましい復興を遂げた日本をお手本に、私たちも祖国を建て直したい。そのためにも、避難先でも子どもたちに良い教育を与えていきたいのです」と、強い意欲を持っておられます。

放課後の校舎はシリア難民の子どもたちへ開放

ハタイ県の別の地域では、AARがトルコの行政に働きかけ、小学校の授業が終わる平日の午後3時以降、シリア難民の子どもたちが校舎を使えるようになりました。また、不足するアラビア語教材の印刷や通学かばん、文房具などもAARが支援しています。3月末時点で、すでに700人を超える子どもたちが通い始めています。

子どもたちは友達と一緒に勉強できる環境にとても喜んでいます。 3年生のアハマドくん(9歳)は、「特に算数が好き。がんばって勉強して、将来はシリアに戻ってお医者さんになりたい」と話してくれました。またある母親は、「息子はシリアでも避難先でもずっと学校に通えず、将来を考えると、とても不安でした。しかし、これでまた勉強ができます」と、何度も感謝の言葉を伝えてくれました。今後も、シリア難民の子どもたちの教育環境を改善するための支援を行ってまいります。

シリア人の小学校に教材を配付した雨宮知子と景平義文

小学校の校舎を使って、待望の授業が始まりました。AAR の配った教材を手にするシリア難民の子どもたちと、景平義文(旗の左側)、雨宮知子(旗の右側2人目)。ハタイ県 2013年3月14 日

障害を持つ人々へ車いすや松葉杖を

障害のある父娘に車いすを配付する雨宮知子

左足を切断したワーリドさん(左)と生まれつき足に障害のあるヌーラさんに車いすを渡す雨宮知子(右)2013年3月14日

AARでは教育支援のほか、障害のある方の避難先での負担が少しでも軽くなるよう、車いすや松葉杖などを提供しています。理学療法士が一人ひとりの障害に合わせて選んだ補助用具を、これまで35名にお届けしました。

3月14日には、障害を持った父娘へ車いすを1台ずつお届けしました。お父さんのワーリドさん(53歳)は糖尿病を患い左足を切断、娘のヌーラさん(13歳)は足に障害を持って生まれました。10ヵ月前、シリアで住んでいた家のそばで爆発があり、家族に抱きかかえられてトラックに乗り、なんとかトルコへ逃げてきたそうです。

ヌーラさんはシリアでは車いすは持っておらず、近くの学校へは家族に抱っこしてもらい通っていました。将来は先生になりたいと話すヌーラさんは、トルコに逃れてきてからは家の中でじっとしていることが多く、気持ちも落ち込んでいました。車いすを受け取ると、「お姉ちゃんたちに(車いすを)押してもらって外出するのがとても楽しみ。公園や近くに住む叔父さんの家を訪ねたい」と満面の笑顔を見せてくれました。AARは今後も車いすの配付を続け、合計で250名の方々にお届けします。

避難先で困窮する人々のために、まだまだ支援が必要です

配付物資を受け取り喜ぶファティマさんの子どもたちと雨宮知子

シリアの戦禍から逃れてきたファティマさんの子どもたちと雨宮知子(中央) 2013年3月12日

食料や生活必需品の配付も継続しています。ファティマさん(35歳)は50日前に爆撃を逃れてシリアから夫と3人の子ども、義姉とともに国境を越えハタイ県にやってきました。「故郷を離れたくはなかったのですが、爆撃で自宅の窓が吹き飛び、慌てて逃げ出してきました」と恐怖の体験を語ってくれました。「シリアからは毛布や少しの衣服しか持ってこられませんでした。今は収入もなく電気代も支払えていません。トルコは(シリアに比べ)物価も高く生活が厳しいので、食料や生活用品の支援は本当に助かります」と微笑みました。

シリア難民のトルコでの生活は長期化し、貯蓄を切り崩して生活している難民の暮らしは厳しくなる一方です。トルコでの生活を諦め、シリアに戻っていく難民がたくさんいます。シリアではまだ戦闘が続いており、シリアに戻ることが命を失うことになるかもしれないことは彼らにもわかっています。しかし、追い込まれた生活を送る難民にとっては、危険なシリアに戻ることが現実的な選択肢となっているのです。再び難民を命の危険にさらさないために、ファティマさんのような人たちの生活を支えることが何よりも必要です。

涙を流しながら故郷に帰りたいと話すシリア人の女性

厳しい生活の中、私たちを温かくもてなしてくれたシリア難民の女性。「私が望むのはただ一つ。戦争が終わって故郷の家に帰ること。家にさえ帰ることができれば何もいらない」と、目に涙をためて訴えました(2013年3月12日)

厳しい生活状況にも関わらず、訪れるほぼすべての家庭で、「中に入ってお茶を飲んで行って」と温かくもてなしてくれ、去り際には「ありがとう、ありがとう」と手を振って見送ってくれます。ときに話してくれる戦争の辛い経験や祖国への想いは、私たちの心を強く打ちます。

AARは小麦粉や米、砂糖、塩、パスタ、ミルクなどの食料および石鹸、タオル、洗剤、バケツ、オムツなどの生活必需品を配付しており、3月末までにハタイ県で800世帯への配付を終えました。引き続き物資配付を継続し、ハタイ県、シャンルウルファ県、キリス県の3県で合計3,000世帯へ支援物資を届ける予定です。

※シリアの政治情況に鑑み、登場する難民やその関係者に不利益の生じないよう仮名を使うとともに、活動地域の詳細を省略しております。ご理解いただけますと幸いです。
※この活動は、皆さまからのあたたかいご寄付に加え、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の助成を受けて実施しています。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 雨宮 知子

2012年11月より東京事務局でシリア緊急支援事業を担当。米国の大学院在学中、ブルガリアとロシアで孤児支援に携わる。企業勤務を経て、青年海外協力隊に参加。ニカラグアでの衛生啓発活動を行った後、AARへ。大阪府出身

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