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ラオス:シェンクワンでの駐在を終えて

2014年10月21日  ラオス地雷対策
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看護師を対象とした研修

簡易診療所の看護師に、心肺蘇生法を指導する駐在員の安藤典子(2013年12月23日)

インドシナ戦争中に落とされたクラスター爆弾が、不発弾として多く残るラオス。AARは特に被害が大きい北部シェンクワン県に2010年から2014年6月末まで事務所を構え、不発弾事故の被害を軽減するための活動を行いました。

2013年6月から活動終了までの1年間は、不発弾事故に備えた応急処置方法の研修を、171村305名の村落保健ボランティア、22ヵ所の簡易診療所の56名の看護師に行い、近年不発弾事故が多く起こった26村では村人のべ1,300人に対する応急処置の講習会を行いました。また、不発弾事故に遭わないようにするために、日常生活の中でどんな行動に気をつけなくてはいけないかを知ってもらうためのポスターや、不発弾の危険性を伝える歌を現地団体と協力しながら作成し、現地団体やラジオ局に提供しました。 駐在を終えた安藤典子が、現地での研修の様子や村人からの声を交えて、これまでの活動を振り返ります。

「おしっこをかけると血が止まる」? 昔ながらの治療方法の問題点も丁寧に説明

止血の方法を教えるスーヤン

不発弾事故で腕が吹き飛ばされてしまった場合の止血方法を説明するシェンクワン事務所のスーヤン。出血している部分にガーゼや清潔な布を当てて、しっかり圧迫します(2013年9月24日)

「薬草を噛んで傷口に当てると血が止まる」「おしっこをかけると血が止まる」など、ラオスでは昔から伝わる治療方法が行われている村がまだたくさんあります。これらの治療法は傷を悪化させるうえ、病院での処置を難しくする原因にもなります。 病院から離れた村では、村長から任命された村落保健ボランティアが、簡単な投薬などの医療活動を行っています。彼らが処置の方法を知らなかったり、間違った処置をすれば、救えるはずの命を失うことにもつながりかねません。そこでAARは、講習会で正しい応急処置の方法を教えるとともに、昔ながらの治療法がなぜ問題なのかも丁寧に説明しました。

「自分が怪我した時もそうして血が止まったんだから、本当だよ」「昔からそう言われてるんだ」と、村落保健ボランティアからは反論が来ることもあります。「それはたまたま血が止まるタイミングにおしっこをかけただけ」「薬草などからばい菌が傷から入って感染する」「病院できれいに洗う時に薬草がくっついてなかなか取れない」など説明すると、「へー」と驚きながらも理解し、正しい処置方法を覚えてくれました。郡病院の先生からは、「AARの研修の後、止血のために薬草を使う人がいなくなり、処置が楽になった」と感謝されました。

実践を通して事故に備える

研修の様子

恥ずかしがる村人を励まし、順番に練習してもらいます。左はシェンクワン駐在員の貝澤麻衣(2013年11月28日)

ラオスの方は、研修で心臓マッサージの方法を順番に実践してもらおうとしても、なかなかやろうとしてくれません。一般的に日本人は恥ずかしがり屋だと言われますが、ラオス人もとても恥ずかしがり屋で、人前で進んで何かをすることはあまりないのです。恥ずかしがりながら順番に取り組みはじめても、最後の方になると「何回も見たからできる」と言います。そんなときは、現地職員が「見ているだけでは実際に事故があったときに実行できない。村落ボランティアには村人を助けるという役割があるんだ。きちんとできるようにしておこう」と、何のために研修に来ているかを気づかせるように言葉をかけます。「心臓マッサージは大変だね。すぐ疲れてしまう」。実際に練習すると、思った以上に力がいることを実感します。「だから、なるべく多くの助けを呼んで、交代でやるんだよ」と村人みんなで連携することの大切さも分かってもらうことができました。

忘れられない事故

AARの活動最終日の朝7時、事務所の電話が鳴りました。あわてて出てみると、隣の郡の村落保健ボランティアからでした。「不発弾事故が起こったの。応急処置はしているけど、息をしていなくて。病院に連れて行きたいけど車がないの。どうしたらいい?AARから車を出してくれない?」と。事務所から隣の郡までは約60km。間に合う訳がありません。「簡易診療所は近くにないの?」「郡病院は?」と聞いても、「行けない」と言うだけ。隣の郡の病院は救急車を持っていたことを思い出し、郡病院の電話番号を教えました。しかし、朝早いせいか郡病院の人は電話に出ず、すぐにまた事務所に電話がかかってきました。郡病院の先生たちの連絡先を教えましたが、結局誰にもつながらず、10分後に「亡くなったよ」と電話がありました。返す言葉がありませんでした。

朝出勤してきた現地職員にこの話をすると、「あの村は川の向こうで、橋がないから川を渡れる車がないと病院に行けないんだ」とのことでした。ラオスの農村部では、道路や橋など、インフラがまだ整備されていない地域も多くあります。応急処置は、あくまで病院に搬送するまでの緊急手段。病院までの道や車もしっかりと確保されなければならないと、痛感した出来事でした。

「子どもたちにもわかりやすい教材で助かる」

AARは応急処置の研修を行うとともに、不発弾回避教育のための教材として、歌やポスターを作成しました。「歌はすごくいいわ。ラオス語だけじゃなくて、地元のモン語もカム語の歌詞もあるから、誰でも歌えるし、簡単だから覚えやすいのよ」「このポスターの絵もとても分かりやすい。子どもたちに説明するときに使っている」現地協力団体のUXO-Laoシェンクワン支部とともに作成し、同団体の不発弾回避教育チームに提供した歌やポスター、ノートは、実際に研修を行うスタッフや村人にも、とても好評でした。研修ではみんなで歌って覚えてもらい、ラジオ局にも提供しました。

ポスターの確認を行うUXO-Laoの職員とAAR駐在員

不発弾回避教育用のポスターを、現地協力団体のUXO-Laoに提供。ポスターの内容を回避教育チームに再度見てもらい、村でどのように使うかを話し合いました(2014年6月27日)

教材のノート

研修を受けた村人や子どもに配付するノートは間違い探しになっています。日常生活の中で危険な行動をしているイラストを探し、どのように行動を変えたら不発弾事故を回避できるかが分かります(2014年6月27日)

駐在を終えて思うこと

村落保健ボランティアの質問に応えるAARの安藤典子

村落保健ボランティアへの研修中、村人からの質問を受ける駐在員の安藤典子(2012年11月14日)

ラオスの人たちはとてものんびりしていて、そしてなぜかいつも「どうにかなる」と思っています。そして実際に「どうにか」してしまうから、私たち日本人も「まぁいいか」と思ってしまいます。双方がそれでいいときもありますが、実はよくないときも多くあります。私がそんなラオス、それもシェンクワンに魅せられてしまうのは、緑がきれいで自然が多く、標高が高いためそれほど暑くないところ、ちょっと不便ですが、欲しいものが無くても「まぁいいか」と「どうにか」過ごせるところ、そして日本の古き良き時代を彷彿とさせる、人々の温かさなのだと思います。

シェンクワンでは、戦後40年以上たった今でも、戦争の負の遺産は残り続け、人々の生活を脅かしています。大事なことは、不発弾事故を起こさないようにすること。不発弾がどんなものか、どんなところにあるのか、どうやって事故を回避したらいいのかを理解し、そしてその回避行動をきちんと実践すること。そのための教育が何よりも大切です。AARの活動は終了しましたが、私たちが作成した歌やポスター、ノートがこれからも役に立つことを願っています。

※この活動は皆様からのご寄付に加え、外務省日本NGO連携無償資金協力、フェリシモ地球村の基金の助成を受けて実施しました。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

ラオス事務所駐在 安藤 典子

看護師として10年間大学病院に勤務した後、青年海外協力隊に参加しラオスで2年間活動。帰国後、病院勤務などを経て2012年1月よりAARへ。東京事務局勤務後、2012年10月から2014年6月までシェンクワン駐在。岐阜県出身

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