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ミャンマー:障がい児の可能性を引き出す

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ミャンマーでは、障がいのある人は医療的ケアを受ける機会も、教育を受ける機会も充分にはありません。AAR Japan[難民を助ける会]では、障がい児が適切なリハビリを受け、それぞれの可能性を少しでも発揮できるよう、「ミャンマー子どもの未来(あした)プログラム」を2001年から実施。現地NGOが運営する障がい児支援施設「子どもの家」と連携しながら、これまで15年間にわたり130人以上の子どもたちを支援してきました。

家庭訪問で密な関係作り

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定期的なミーティングで子どもたちに必要な支援について話し合っています。左は駐在員の中川(2016年6月29日)

このプログラムはAARヤンゴン事務所の日本人駐在員の下、3人の現地スタッフによって運営されています。現地スタッフのうち2人は理学療法士で、主に身体に障がいのある子どもへのリハビリテーションを担当し、もう1人は学校と話し合いの場を設けたり、家庭教師を付けたりするなど主に学習面の支援を担当しています。スタッフが各家庭を1軒1軒訪問して、子どもや家族の近況を確認し、必要に応じてリハビリや学習に関する相談に乗ったりしています。また、週に2回、事務所で駐在員も交えてミーティングを行い、家庭訪問で得た情報を共有して今後の対応を話し合っています。月に1度か2度のスタッフの訪問を心待ちにしている子どもや家族も多く、3人の親身な活動が信頼関係に結びついています。

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チョーくんはいつもスタッフを嬉しそうに迎えてくれます(2016年2月10日)

AARが支援をしている障がい児の一人、ボン・ミィン・ミャッ・チョーくん(以下チョーくん/10歳)は、脳性マヒによる障がいで、手足を自由に動かすことができません。 起き上がったり寝転んだりという動作ができなかったチョーくんは、2歳から「子どもの家」に通い始めて、7歳になるまで学習支援やリハビリを受けました。初めはうまくいすに座れませんでしたが、6歳になるころには上手に座ることができるようになりました。

そして就学年齢の7歳になったのを機に「子どもの家」を卒業して、自宅の近くの普通学校に入学しました。ミャンマーでは、障がい児が普通学校に入学することは簡単なことではありません。AARのスタッフは家族と一緒に学校を訪問し、入学するにあたって学校側での必要なケアについて話し合いを重ねてきました。当時の校長先生は障がい児の教育にとても理解のある方で、文字を書くことが難しいチョーくんのために、通常は筆記で行う試験を口頭で回答することを認めてくれるなどの配慮をしてくれました。また、同級生たちとも仲良くなり、移動するときに手伝ってくれる友達もできました。

子どもたちにさまざまな選択肢を

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家庭訪問によって子どもたちや家族と密な関係を築いています。右は筆者(2016年6月9日)

こうして2年間順調に学校生活を送ってきたチョーくんですが、この春、校長先生が変わったことで状況が一変しました。新しい校長先生がチョーくんの通学に難色を示したのです。校長先生は、担任の先生がほかの子どもたちの面倒を見るのに精いっぱいで、教えるのに時間がかかるチョーくんを受け入れる余裕はないとして、ヤンゴン中心部にある特別支援学校への転校を勧めてきました。しかし、友達もたくさんできて楽しく学校生活を送ってきたチョーくんは納得することができません。また、特別支援学校はチョーくんの家から車で30分ほどかかる場所にあり、送迎は大きな負担となります。学校へ通えなくなったチョーくんは、現在家庭教師とともに自宅で勉強をしています。

AARもサポートしながら、同じ学校へ戻れるよう話し合いを続けています。また、それが難しい場合は、別の普通学校へ転校するのか、あるいは家庭教師と自宅勉強を続けるのか、本人や家族と相談しながら今後の方針を探っています。状況に応じて、少しでも本人の希望に添えるよう、さまざまな選択肢を一緒に考えて、支援していきたいと思います。

AARはこれからも障がい児一人ひとりの可能性を伸ばしていけるように、子どもたちとその家族に寄り添いながら支援を続けてまいります。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務所 木下 聡

2014年1月からAARに所属。相馬事務所での福島支援事業担当を経て、同年10月から東京事務局にてミャンマー事業を担当。宮城県出身

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