[ サイトマップ ]
[ TOPページ ]
ライブラリー
活動報告
駐在員日記
イベント・キャンペーン
プレスリリース・報道履歴
難民を助ける会を支援するお店
在日外国人を支援する
社会福祉法人
平和な祖国を築く手助けをしていきたい(その2)
アンゴラ事務所駐在 吉田 克弥
2005年3月
■難民の抱える苦悩
地雷回避教育を行う村にて(中央手前が吉田)。
みんなで一緒に歌を歌ってから地雷回避教育を始めます。
平野さん、3年間の駐在員生活お疲れさまでした。どうか日本で当たり前の幸せを十分に堪能してください。平野さんに代わり、今は私が周囲を気にしながら道を歩き、ビザの心配をし、言葉に戸惑い、眠れぬ夜を過ごしながら生活しています。
「難民を助ける会の子どもたち」を始めとするザンビアからの元難民の多くも、アンゴラ人でありながら、時にはエストランジェイロ(外国人)と呼ばれ、生粋の外国人である私のように、不安定な立場に不安を抱きながら暮らしています。
先日も、「アンゴラに戻ってきたはいいけれど言葉も通じない(アンゴラの公用語はポルトガル語)、誰も助けてくれない。ザンビアに戻るお金を恵んでおくれ。」
と事務所を訪ねてきた老婦人がいました。
「先週ザンビアから来たばかりなんだ。難民を助ける会のメヘバでの活動は知っている。今晩一晩でいいから泊めてくれないか?」
こう言いながら事務所にやって来た男性二人組もいます。
難民の帰還に伴い、当会のメヘバでの活動は終わりを告げましたが、そこに住んでいた多くの元難民にとって帰還は終わりではなく、始まりです。
■帰還は“希望”の始まり
始まり。それは新たな苦難の始まりとも言えますが、同時に希望の始まりでもあるわけです。
私が数日間の出張からサウリモの現場事務所に戻って来たときのことです。アンゴラ事務所開設を手伝ってくれたジョセフが私にこういいました。
「発電機を回していたのに電気が来なくなりました。配線をよく見たら接触が悪いところがあったので直しておきましたよ。」
もちろん彼が短期間で電気の配線を習得したわけではないと思います(私にも電気の配線の知識がありません・・)。しかし彼が将来のために自分で電気についてコツコツと学んでいるのは、紛れもない事実です。
難民、または途上国の人々といっても、それはただ援助を必要としている受動的な人々ではありません。日本とはまったく異なった、大変な環境にいながらも、将来を見据えて今出来ることをする。その点で私たちとなんら異なるところはありません。
またジョセフの言葉を借りたいと思います。
「私は物心ついたときからザンビアで暮らしてきましたが、アンゴラ人でいることを誇りに思っています。アンゴラは大変なことばかりですが、それでも戻ってきたことを後悔したことはありません。」
■助け合いながら、ともに歩んでいきたい
道路脇に転がる、対戦車地雷で破壊された戦車の残骸。
平和なアンゴラを築くため、彼らとともに歩んでいきます。
私という人間を通じてこの国に住む人たちの思いや夢が日本の皆さまにも伝われば、これ以上の喜びはありません。そしてアンゴラの人たちも日本について、そしてそこに住んでいる私たち日本人について知りたがっているのではないでしょうか。
ここでの私と若杉優子駐在員の役割は、平野さんがその基盤を作ってくれた各事業を介して、アンゴラの人たちと皆さまとを繋ぐことではないかと思っています。皆さまのご支援・思いを平和なアンゴラを築くために役立てる。私たちがその一助となれれば幸いです。
追伸:「会の子どもたち」も私にとっては「会の大先輩」です。彼らと助け合いながら、ともに歩んでいきますね。
|
サイトマップ
|
難民を助ける会とは
|
プライバシ-ポリシー
|
資料請求・お問い合せ
|
リンク集
|
Copyright©1996-2003 Association for Aid and Relief,Japan, all rights reserved.