マンスリーサポーターになる

AAR Japanは、今年40周年を迎えます。これからも困難な状況にある人たちを「支え続ける」ために「マンスリーサポーター」としてご協力ください。

その時から40年間、ずっと。

インドシナ難民に支援物資を手渡しするAAR創設者の相馬雪香(左)。

1979年、「困っている人を助けたい」という
思いのもと始まった私たちの活動は、
難民の方たちの、目の前にある危機への支援だけでなく
次の人生を歩み始めるまでを、
40年間、ずっと支え続けてきました。

AARが生まれて40年、シンプルな気持ちに立ち戻りながら

1979年、全員が無償ボランティアから始まったAARは、
今でも多くの無償ボランティアや役員とともに、
有給職員も国内外含め300人に膨らみました。
続けてきたからこそ、活動の知見やネットワークが積み重なり、
より専門的に、より広範に活動ができるようになりました。
AARが生まれて40年。
「困っている人がいる、私たちAARにできることがある。だから、支援する」
あらためて、ごくシンプルなこの気持ちに立ち戻りながら、
活動を支えてくださる数多くの方々の真摯な思いにお応えできるよう、
AARは皆さまとともにこれからも引き続き歩んでまいります。

AARの40年の実績

これからのAARの活動をマンスリーサポーターになって支えてください

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ミャンマー避難民支援(バングラデシュ)

21歳のアスマさんは、生後10ヵ月の娘と、10歳になる妹とともに、ミャンマーから10日間歩いて隣国バングラデシュに逃げてきました。「夫は殺され、両親も消息不明です。娘がお腹を空かせていますが、食べる物も住む家もなく、一体どうすれば良いのでしょう…」涙を浮かべて訴えるアスマさん。AARはアスマさんのような多くの避難民の方たちに、緊急支援として衣類などを配付した後、人口過密で非衛生的なキャンプの環境を整えるためトイレや水浴び場を建設、そして、子どもや女性が安心して過ごせる施設を整備しました。

シリア難民支援(トルコ)

シリアで仕立て屋を営んでいたサイードさんは、爆撃で重傷を負い、手足がよく動かなくなってしまいました。そのためトルコに逃れた後も働けず、やむなく13歳の長男モハメドくんが朝から晩まで路上でパンを売って家族を支えていました。AARは生活手当の支給とともに、EUからの経済支援を受けられるよう父親の障がい者証明書の取得など行政関係の手続きをサポート。その甲斐あって、モハメドくんは児童労働から解放され、学校にも通えるように。「しばらく学校に行けなかったけど、一生懸命勉強しているから授業にはついていってるよ」。将来の夢は、建築エンジニアになって、故郷の家を建て直すことです。

アスマさんのように、命からがら逃げてきた人たちには、
水や食料、安全な避難場所、医療などの速やかな支援が必要です。
一方、サイードさんやモハメドくんのようにいつ終わるとも知れない
避難生活の中で新しい人生に向かって歩み始めるには、
「支え続ける」ということが大切です。それは私たちAARが
これまで40年間ずっと困難な状態にある人たちに
寄り添い続けてきたからこそ、何よりも実感しています。

世界に2,500万人いると言われている難民。
ひとたび難民になると、難民でなくなるまで平均で17年間かかると言われています。
心身ともに深い傷を負った方々が、新しい人生に向かって歩み始めるまで、
私たちは息長く支えていきたいと考えています。

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