駐在員・事務局員日記

相馬雪香生誕100周年記念:私と相馬雪香<1>

2012年05月01日  日本
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執筆者

理事長
長 有紀枝

大学院修了後、外資系企業に勤務する傍ら、1990年より難民を助ける会でボランティアを開始。翌91年に専従職員となり、旧ユーゴスラビア駐在代表、事務局長などを経て、2008年7月理事長就任。立教大学社会学部教授、福島県相馬市の復興会議顧問会議委員

記事掲載時のプロフィールです

2012年は、難民を助ける会の創設者、相馬雪香の生誕100周年にあたります。相馬は、インドシナ難民を支援しようと、1979年に「インドシナ難民を助ける会」(現・難民を助ける会)を設立。「困ったときはお互いさま」の精神で市民による国際協力の運動を巻き起こしました。連載第1回は、難民を助ける会理事長の長有紀枝が、相馬との思い出を振り返ります。

カッコいいおばあさんとの出会い

難民を助ける会東京事務所での相馬雪香

難民を助ける会事務所での相馬雪香(2000年)

私が難民を助ける会で働き始めたのは、設立から約10年後の1990年でした。「東京にはこんなにカッコいいおばあさんがいるのか」というのが相馬先生(以下先生)の第一印象です。政治家の家に育ったとはいえ、政治家でもない80歳近い民間の女性が、当事者として政治に関心を持ち、怒り、社会活動に取り組んでいる。自分でセーターを編んだり、お洒落にもとても気を遣っている。私の周りには、そんな年配の方はいなかったので本当に衝撃でした。

誰が正しいかではなく、何が正しいか

難民キャンプで支援物資を渡す相馬雪香

会設立当時に訪れたタイの難民キャンプで、支援物資を手渡す相馬雪香(左、1979年)

先生は「憲政の父」と呼ばれた尾崎行雄(咢堂)の三女です。尾崎は1890年(明治23年)から63年間国会議員を務め、軍閥・藩閥政治と闘い、普通選挙運動、軍縮を推し進めました。幼い頃、自宅を襲ってきた暴漢から父親と一緒に逃げたときのことや、「筋のとおった理屈を言いなさい」と言われていたことなど、いつも楽しそうに話してくれました。

先生から聞いた話で、とりわけ心に残っている話があります。幼い頃尾崎は忙しく、あまり家にいなかったそうです。そんなとき、母親に「お父様はRighteousness(ライチャスネス=公正・正義・道義)のためにお仕事をしているのよ」と言われたそうです。言葉の意味はさっぱりわからなかったけれど、幼心に何かとても大切なことだということは分かった、と話していました。父親から受け継いだ『ライチャスネス』は、先生を生涯支えた思想の柱だったと思います。先生は、「誰が正しいのかではなく、何が正しいのかを考えなさい」と常々言っていました。何が正しいか、それを判断するのは常に自分の良心である。自分の良心の中に、善悪の基準をしっかりと持つことが大切ですと。

また、尾崎行雄から受け継いだ民主主義への思いはとても強いものでした。先生の言う民主主義とは、「一人ひとりが大事」ということです。個人が尊厳のある人間として大切にされるべきであると同時に、一人ひとりが社会や政治に責任を持って関わっていかなくてはならない。権利よりも責任を強調する民主主義です。

93年の春、先生はテレビ朝日の『ニュースステーション』に出演。キャスターの久米宏さんが政治腐敗に対して「政治家を選ぶ我々にも責任があるということですね」と発言したところ、間髪いれず、「我々『にも』じゃなくて、我々『に』責任があるのです」とおっしゃいました。あまりに先生らしい、でも本当に象徴的な一言として今でも鮮明に記憶しています。

混迷の時代だからこそ

長有紀枝と相馬雪香

2008年8月。難民を助ける会の沖縄平和賞受賞を喜ぶ長有紀枝(左)と相馬雪香

今年は相馬先生の生誕100周年にあたります。政治的にも社会的にも混迷の時代だからこそ、誰が正しいかではなく何が正しいかを考え、一人ひとりが、世の中の出来事に当事者として責任を持って関わることの大切さを痛感しています。先生の残した信念を多くの方々と共有できればうれしく思います。

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