駐在員・事務局員日記

パキスタン:イスラマバード事務所の「教育パパたち」が子どもたちへ贈る言葉

2015年09月08日  パキスタン
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執筆者

イスラマバード駐在所
山本祐一郎

2011年11月より東京事務局で勤務。米国の大学を卒業後、英国の大学院、インドネシアでの教育コンサルタントなどを経て、東日本大震災をきっかけに、AARへ。東日本大震災被災者支援、カンボジア、ミャンマー事業などを担当。2015年1月よりパキスタン事務所駐在。大阪府生まれ、カリフォルニア州育ち。

記事掲載時のプロフィールです

AAR Japan[難民を助ける会]は、パキスタンのアフガニスタン難民キャンプとその受け入れ地域で教育・衛生環境の改善に取り組んでいます。首都イスラマバードと北部のハイバル・パフトゥンハー州ノウシェラ郡にある事務所には、計16名のパキスタン人スタッフが活動しています。今回は駐在員の山本祐一郎が、パキスタン人男性スタッフ4名をご紹介します。

AARスタッフとして、父親としてパキスタンの教育問題について考える

今回ご紹介する4名の男性スタッフに共通することは、皆「父親」ということ。父親として子どもたちのためにパキスタンの教育問題について考え、AARの職員としてその改善に取り組む彼らは、教育の重要性が人々の間でまだまだ浸透していないことがこの国の大きな問題だと口を揃えて言います。 今回は4人に、パキスタンの教育に対して感じることや子どもたちへのメッセージを聞いてみました。

アフガニスタン難民に寄り添って学んだこと

ルーサ・ヌー・オヌク(仮名)/プロジェクト・オフィサー/2014年9月入職/小学校の増改築担当

イギリス系の国際NGOや赤十字社での勤務経験がある、ベテランの人道支援活動家です。2歳の息子と8ヵ月の娘の父親でもあります。

「私が以前勤めていた団体は、私の出身地でもあるコハート郡のアフガニスタン難民キャンプで女性に対して教育支援や職業訓練などを提供していました。 コハート郡にはアフガニスタン難民が多く、私たち住民にとっても身近な存在でしたが、支援活動に携わり、難民キャンプの劣悪な環境を目の当たりにしたとき、『彼らはこんなにもひどい生活を強いられていたのか?』『このままでは人間としての尊厳も失ってしまうのではないか?』と感じ、自分の中で何かが大きく動いたのです。 私は恵まれた家庭に育ちましたが、難民の人たちは毎日を生きるだけでも必死なのです。それ以来、困難な立場に置かれている人々の役に立とうと決心しました。

世の中には矛盾していることや納得できないことがたくさんありますが、我が子を含め、パキスタンの子どもたちには、人の悲しみが理解でき、優しく接することのできる慈愛の心を持った人間に育ってほしいです。しっかりと教育を受け、少しでもパキスタンの社会問題や国際問題に関心を持ってくれるように願っています。」

障がいを乗り越えて

スルナット・ネーイル(仮名)/プロジェクト・オフィサー/2012年2月入職/衛生啓発活動担当

スルナット(仮名)はJICA(国際協力機構)パキスタン事務所に勤めていた経験があり、10ヵ月の一人娘がいます。

「私の人生の転機は、12歳のときでした。バスで通学中、運転手の不注意によりバスから振り落とされ、左足を切断する大けがを負ったのです。

1年間入院し、勉強にもついていけなくなり、絶望感でいっぱいでした。それでも両親の後押しと当時の校長先生の理解のおかげで進学することができました。教育を受けられるということがどれほど幸せなことかを実感し、それを機に私は勉強に励み、大学院まで進むことができました。

一生のうちで誰もが苦しみや悲しみを経験します。この国の子どもたちも、どんな状況でも自分を見失わず、前へと進んでいける、強い精神と教養のある人に成長してほしいです。そのためにも教育のありがたさを子どもたちに伝えていきたいです。」

温厚なパパは元軍人

フルヌ・トゥーク(仮名)/セキュリティ・アドバイザー/2011年12月入職/安全管理・情報収集担当

フルヌ(仮名)は、軍人としてパキスタン軍に23年間勤めた後、AARに入職しました。「メジャー(少佐)フルヌ」と若手スタッフたちからも慕われ、元軍人とは思えない気さくな性格で事務所のムードメーカーです。10歳の長男、5歳の長女、7ヵ月の次男の3人の子を持つ父親です。

「軍隊では、パキスタン国内の各地に派遣され、さまざまな現場を経験し、多くの仲間や良い上司との出会いがありました。また、新人教育を担当していたころは、人材育成の難しさと同時にやりがいも感じました。人を育てる大切さは軍でも学校でも、家庭でも変わらないと思います。

パキスタンの学校では、先生が一方的に情報を与え、生徒は板書をノートに写して暗記するという教え方が一般的であり、生徒にとっては受身的なものとなっています。ですが、私は子どもたちが主体的に学べる方法が重要だと思います。そのためには何といっても、熱意のある先生の存在がカギです。さらに、公立・私立問わず、学ぶ楽しさが実感できるような教育現場の拡大がこの国には必要です。そして教育を受けた子どもたちが将来この国をより良く変えてくれることを願っています。」

息子であり、兄であり、夫であり、そして父となった今

サルドゥク・ニクーヌ(仮名)/アシスタント・プロジェクト・オフィサー/2012年2月入職/総務・会計担当

大学卒業後すぐにAARに入職したサルドゥク(仮名)は、チーム内で最年少。事業運営の補佐をしています。3歳と2ヵ月半の2人の息子の父親です。

「僕は大学時代あまり将来のことを深く考えず、友人とバイクで出かけて、遊ぶことに夢中でした。しかし、21歳のときに父が亡くなり、すべてが大きく変わりました。 親戚からの援助を頼りにしつつも、僕がアルバイトをして家族の生活を支えるようになりました。『守られる』立場から『守る』立場へと、人生が一転したのです。 現在は6人家族の長であることを常に認識させられ、その責任を強く感じまていす。

僕が生まれ育ったパンジャブ州のグジュラート郡は、地方の町で、通っていた小学校には机や椅子がなく、地面に座って授業を受けていました。小学5年生のとき大きな町に引っ越したのですが、そこでは教室内に机や椅子が完備されていて驚いたことを、今でもはっきりと覚えています。机や図書、スポーツ用品などは、都市部の学校ではあって当たり前ですが、地方の学校ではそうではありません。私には学校に机や図書がある喜びがよくわかります。だからこそ、これからもAARがパキスタンの学校で行っている支援を継続できるよう頑張っていきたいです。

子どもたちもいずれは親になり、守られる立場から守る立場へ変わるでしょう。彼らが自立する日まで精一杯応援し、しっかりと守ってあげることこそが父親としての役目だと思っています。」

子どもたちの教育・未来のために

急激に拡大し続ける貧富の差をはじめ、民族問題、テロ、男女間の不平等、児童労働など、依然としてさまざまな問題が絶えないパキスタン。話を聞いた4人は、すべての問題を解決するには長い道のりになるだろうと言いますが、国の教育を改善していくことの重要性を訴え、パキスタンの子どもたちがより良い教育を受けられるよう、AARの行う教育環境を整備する活動に熱意をもって取り組んでくれています。 私たち日本人駐在員は、4人の国を想う熱い気持ちにいつも勇気をもらっています。パキスタンの子どもたちには、この国のより良い環境のために日々励んでいる彼らのように立派に育ってほしいと切に願っています。

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