駐在員・事務局員日記

「僕がAARを選んだ理由」山本祐一郎-これから国際協力の分野を目指す人たちへ(11)

2015年09月29日  職員紹介
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執筆者

パキスタン駐在員
山本 祐一郎(やまもと ゆういちろう)

2011年11月より東京事務局で勤務。米国の大学を卒業後、英国の大学院、インドネシアでの教育コンサルタントなどを経て、東日本大震災をきっかけに、AARへ。緊急支援や東北支援、カンボジア、ミャンマー事業担当を経て、2015年よりパキスタン事務所駐在。趣味はテニスと旅行。大阪府生まれ、カリフォルニア育ち。

記事掲載時のプロフィールです

AARのスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第11回はAARパキスタン駐在員の山本祐一郎です。爽やかな笑顔でどこに行っても人気者。4歳から米国に在住し英語はネイティブのように操る一方、日本の伝統文化にも詳しい彼がAARに入ったきっかけは?(聞き手:広報担当 伊藤)

アルゼンチンで出会った貧民街の子どもたちが忘れられず

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「最初はスペイン語をもっと勉強したくてアルゼンチンに行ったのですが・・・」(2015年7月)

Q.米国生活が長かったのですね?

はい。父親の仕事の関係で4歳から大学卒業までカリフォルニアのロサンゼルス郊外で過ごしました。ロサンゼルスには、黒人、アジア人をはじめ、いろいろな人種が住んでいましたが、人種差別や貧富の差などもあり、1992年のロサンゼルス暴動事件は特に印象に残っています。そうした環境は自分自身の人格形成に影響を与えたと思います。

大学を卒業後、まずは社会経験を積みお金も貯めようと思い、米国のイベント企画会社で2年間働きました。その後、好きだったスペイン語をもっと学びたいと、1年間アルゼンチンに滞在しました。

アルゼンチンといえば、タンゴや赤ワイン、サッカーなどが有名で、首都ブエノスアイレスは「南米のパリ」とも言われるほど華やかな街です。しかし、中心地を一歩外れると貧民街が広がり、治安も格段に悪化し、貧富の差を目の当たりにしました。

僕は平日は現地で企業社員向けの英語講師の仕事をし、週末は現地NGOのボランティアとして、貧民街の子どもたちに勉強を教えたり、サッカーやお菓子作りなどをして一緒に遊びました。僕が接した子どもたちは、麻薬中毒の子もいれば、エイズで親を失った子、ペルーやボリビアなどからの移民の子たちなどさまざまでした。週に一回触れ合ううちに、子どもたちが自分のつたないスペイン語に耳を傾けてくれるようになり、「日本人のお兄さん」となついてくれました。この子たちのためになにかしたいと思ったことが、この世界に入ろうと思った直接のきっかけです。

3.11に衝撃「なんとかしたい」

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進学した英国の大学院の仲間たちと(後列右端が本人 2010年9月)

Q.その後大学院へ?

そうです。アルゼンチンでの経験から教育と国際開発を学びたいと思い、そのプログラムが充実している英国の大学院を選びました。僕のクラスは、半数が僕同様海外から学びに来た学生だったので、貴重な出会いがたくさんありました。特に仲良くなったのは、イラン人とエチオピア人のクラスメートでした。

2010年に大学院を卒業後、知人から誘われインドネシアの大学で英語講師やコンサルタントの仕事をしていました。半年後の2011年の3月11日の金曜日、友人から「日本が大変なことになっているぞ」という知らせが届きました。テレビを見たら、自分の想像を超える状況でした。本当はすぐにでも東北の被災地に行きたかったのですが、調べているうちに自分ひとりにできることは限られているだろうと考え直し、AARに応募しました。これまで米国での生活が長かったので、これを機に日本で働くことも自分にとって良いチャレンジになると思いました。

「支援のプロになる」

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念願の東北支援事業を担当。東北の現場で被災者の方々と交流することで、後方支援の成果を実感(2012年7月 宮城県石巻市)

Q.AARで念願の東北支援を?

はい。東北支援事業での僕の仕事は、東京事務局で海外の助成財団への助成金申請書を作成することでした。AARに入る前は、とにかく東北の被災地に行くことが大事だと思っていましたが、この仕事を担当してからは、現場を支える後方支援も大切だと理解するようになりました。実際、申請書が通り、いただいた助成金による活動の成果を現場に入ってこの目で見たときには、とても嬉しかったです。

Q.海外事業では数々の現場に行きましたね?

緊急支援として、2011 年のカンボジア水害、2013年のフィリピン台風、2014年のシリア難民支援の現場を経験しました。緊急支援では、短期間で現地の人々に必要な支援を届けなければなりません。最初は戸惑いましたが、先輩たちから学びつつ、少しずつ慣れていきました。緊急支援の現場といっても、被災者と常に一緒にいられるわけではありません。会計や報告書作りなどの事務作業も多いですし、現地で雇用したスタッフの指導も必要です。皆さまからのご寄付でしっかり活動して成果を報告するためには、すべて必要なことです。また、カンボジアとミャンマーで行う障がい者支援事業を担当した際には、息の長い支援の必要性も実感しました。さまざまな事業に関わるうちに、次第に支援のプロとしての責任感が芽生たように思います。

「現地スタッフの信頼を得る」

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ミャンマー人スタッフへの英会話教室は大好評。お返しにミャンマー語も教えてもらいました(2013年3月 ヤンゴン)

Q.現地スタッフとの関係も大切にしていると聞きましたが?

これまで現地スタッフから助けてもらうことが多かったので、その恩返しができればといつも思っています。ヤンゴンでAARが運営する障がい者のための職業訓練校へ長期出張に行ったときには、現地スタッフ向けに英会話教室も行いました。緊急支援のように短期的なものから障がい者支援のように長期的なものまで、AARの活動に現地スタッフの存在は欠かせません。現地スタッフのみんなには、AARや日本人と働けて良かったと思ってもらいたいですね。

Q.その後、パキスタンの駐在員を希望した理由は?

昨今、武装組織「IS」やタリバンなどの過激派組織の台頭により世界各地でイスラム教徒が偏見の目で見られ、宗教の自由を得にくい社会になっていますよね。僕の実家がある米国でもイスラム教徒が迫害されました。

パキスタン事務所の駐在を希望したのは、自分自身がイスラム社会に身を置いて現状を肌で感じたかったからです。パキスタン人のスタッフは、まじめで人懐こく、なんでも話せる大事な仲間です。ただ、彼らの上司として叱るべきときは叱るなど、メリハリも大事ですね。これは駐在員になってから、さらに強く感じました。

「チャンスが来たら最初の一歩を」

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「専門的な知識がなくても国際協力の世界には入れます」(2015年7月)

Q.これから国際協力の仕事を目指す方たちにアドバイスがあれば。

国際協力に関する分野を専門に勉強していない人にも十分にチャンスはありますよ。自分自身も、大学時代の専攻は心理生物学とアジア系アメリカ人研究学でしたし、しかもスペイン語がきっかけでこの世界に入りましたから(笑)。

さまざまな背景の人たちと出会えるのも国際協力という世界の面白いところですね。AARにも、僕のように人生の大半を海外で過ごした人や、以前は外国籍の人もいましたし、いろいろな職歴や経験の持ち主が集まっていて刺激を受けています。

世界では日々いろいろな問題が起きていて、自分にできることなんてないだろうと思ってしまいがちですが、一人ひとりにできる小さなことがつながって、大きな流れになっていくんだと思います。また、自分自身もそうでしたが、さまざまな人との出会いが自分をここまで導いてくれたので、ぜひ皆さんも人とのつながりを大事にしてほしいと思います。

国際協力に少しでも関心を持ったら、そのチャンスを逃さずに、まずは一歩を踏み出してみてください。

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