駐在員・事務局員日記

「僕がAARを選んだ理由」宇治川貴史-これから国際協力の分野を目指す人たちへ(14)

2016年06月01日  職員紹介
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執筆者

スーダン事務所駐在員
宇治川 貴史(うじかわ たかし)

大学では国際政治学を専攻し、在学中にザンビアで半年間ボランティアを経験。電気機器メーカーに勤務後、「プロとして国際協力に関わりたい」と2013年9月よりAARへ。タジキスタン駐在を経て、2013年12月よりスーダン駐在。趣味はヨガ(広島県出身)

記事掲載時のプロフィールです

AAR Japan[難民を助ける会]のスタッフがどんな想いで国際協力の世界に飛び込んだのかを紹介するこのコーナー。第14回はスーダン駐在員の宇治川貴史です。人当たりが柔らかく、国内外を問わず出会った人に清涼飲料水のような爽やかな印象を与える彼がAARへ入ったきっかけは?(聞き手:広報担当 伊藤)

広島から世界へ

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「生まれてから高校を卒業するまで、海外には行ったこともありませんでした」(2016年2月)

Q.出身は広島でしたね?

はい。生まれてから高校まで広島で育ちました。中学校から高校までずっと野球に打ち込んでいて、大学に入るまでは飛行機にも乗ったことがありませんでしたが、今思えば広島で原爆や戦争の話を見聞きしたことが、この業界に関心を持つ最初のきっかけだったのかもしれません。

大学で初めて広島を出て神戸の大学に行き、根拠なき直感で(笑)国際文化学部へ入りました。同じ学部の学生は、半分が留学していたし、大学には留学支援制度もあったので、ぼくも海外で学びたいと思いました。行き先は、これまた直感で(笑)、文化的にも地理的にも最も遠いアフリカに決めました。生まれて初めて飛行機に乗り、アメリカでの半年間の研修を経て、アフリカのザンビアで活動するNGOのもとで半年間ボランティアをしました。NGOの運営する孤児院に住み込んで、地域の生計支援に携わったり、ザンビアではHIV/エイズが深刻な問題になっていたので、エイズの検査や患者のカウンセリングのお手伝いなど、いろいろな仕事をしました。けれど、期間限定のボランティアにできることは限られていて、自分の無力さを痛感しました。


就職、結婚を経てAARへ転職

Q.でも卒業後は海外に行かず国内の企業へ就職を?

はい。もっと国際協力の現場で役に立ちたいと思いつつ、まずは社会人としての基礎を学ぶべく、卒業後は名古屋のメーカー企業に就職しました。職場の仲間や上司にも恵まれ、仕事もとてもやりがいを感じていました。気づけば4年の月日が流れ、学生時代から抱いていた「途上国の現場で人の役に立ちたい」という夢からはいつの間にか遠ざかり、このままで良いのかと考えるようになりました。職場の居心地はとても良かったのですが、海外赴任の機会はいつ訪れるかわかりませんでしたし、決断するなら今だと思いました。AARの求人を見つけて、すぐ応募しました。両親からは猛反対されましたが、就職して2年目に結婚した妻が僕の決断を喜んで後押ししてくれ、AARへの転職を決めました。

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学生時代、留学先のアメリカで、アフリカを支援するNGOの仲間たちと(2006年10月)

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就職した企業では上司にも同僚にも恵まれ居心地がよく、気づけば4年の月日が(2009年8月)

再びアフリカへ

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地雷から身を守るための方法を書いたパンフレットを学校や地域の人々に配ります(2015年3月)

Q.AARでの主な赴任地は2度目のアフリカ。スーダンですね。

はい。タジキスタンでの駐在を経てスーダンへ赴任しました。スーダンは21年にわたる南北の内戦が終わりましたが、未だにダルフールや南部州では紛争が終わる気配はなく、戦火を避けて逃れた人々は大変苦しい生活を強いられています。また内戦の際に埋められた地雷により、内戦が終わった地域でも、人々が被害に遭っています。ぼくが赴任したときは、AARはスーダンで、人々が少しでも安全に日々の暮らしを営むことができるよう、地雷対策や感染症対策などを行っていました。最初はスーダンに対して、内戦や難民というイメージを強く持っていたのですが、実際に赴任してみると、紛争のない地域は安全で、首都ハルツームは夜でも一人で出歩けるくらいです。イスラム教の国なので、お酒や豚肉など、禁止されているものはいろいろありますし、写真撮影に関しても厳しく、外国人は公共物の写真撮影もNGです。活動をする際にもさまざまな制約を受けて仕事が進まないこともありますが、現地の人々はとてもあたたかく、知り合いの家に行くといつも家族のようにもてなしてくれるので、今ではぼくにとって第二の故郷のようです。来てみないとわからないものだと、つくづく思いました。

「現地スタッフの成長が嬉しい」

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ともに働く現地スタッフたちと(中央が筆者 2016年5月)

Q.スーダンでの活動で一番印象に残っているのは?

ひとつは、日本の常識が通じない難しさですね。スーダンに限らずAARが活動する途上国においては大なり小なり起きることですが。AARのような国際NGOが海外で活動するには、現地政府の理解と許可が必要ですが、現地政府の要求とこちらの希望する活動にはギャップがあることが多く、AARの活動の意義を何度も粘り強く説明し理解を得る必要があります。直接的な支援だけでなく、こうしたことも大変ではありますが大事な仕事だと、あらためて感じています。

もうひとつは、現地スタッフの成長です。本来はスーダン人自身の手で国を変えていくべきであり、私たちのような外国人による支援はいっときのものでなければなりません。ですので、AARで働くスーダン人スタッフの成長は、自分にとって大きな喜びです。例えばAARが2006年より行ってきた地雷対策事業では、経験の長い現地スタッフのヤシールが、ほかの国の事業地へ出張して、その国のスタッフに地雷回避教育について指導するほどになりました。
また、会計についてはこれまで駐在員が管理していた部分を現地スタッフのエンサフに任せるようになってから、予算管理や支出について、これまで以上に責任を持って自分の仕事をこなしてくれるようになりました。一度、月締めの会計の数字がずれていたことがあったのですが、そのとき彼女は、「自分のミスのせいで迷惑をかけて申し訳ない」と目に涙を浮かべて謝りました。とても印象に残っています。

「敷かれたレールから外れてみよう」

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「レールを外れることで、見えてくることがたくさんあります」(2016年2月)

Q.これから国際協力の世界を目指す方々へアドバイスを。

AARに入るまでのぼくの人生は、いわゆる世間の「レール」に乗っていたと思います。公立高校を卒業し、国立大学に入り、大手企業に就職しました。そのレールを外れたことで、日本でのステータスはなくなったのかもしれませんが、その分見えてくるものがたくさんありました。

世界にはさまざまな文化や宗教、習慣を持つ人たちがいます。実際に彼らと関わって違いを知り、また人間としての共通点を肌で知ることが人生を豊かにする秘訣だと、学生時代に海外へ出ても感じましたし、特にAARの駐在員としてスーダンに赴任後は痛感しています。自分と異なる価値観に出会うたびに、人間としての引き出しが増えるように思います。

これからNGOや国際協力の世界を目指す皆さんには、ぜひ「レール」を外れて世界に飛び出し、さまざまな価値観に触れて欲しいですね。

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