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活動報告
タイトル
難民を助ける会 地雷問題への取組み
報告者
東京事務局(当時) 長 有紀枝
報告年月日
2001年3月 (尾崎行雄記念財団発行2001年3月号「世界と議会」より転載・加筆)
1997年12月の対人地雷禁止条約(対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止、並びに破棄に関する条約)」の署名式から三年、1999年3月1日の同条約の発効から早くも満二年が経過した。安価で実用的で、比較的軍事予算の潤沢な先進国の軍隊からも、貧乏な不正規軍、民兵からも重宝がられ、防衛に不可欠と言われた対人地雷。故に不可能、非現実的と言われたその全面禁止条約の実現は、様々な意味で二十世紀を象徴する出来事であった。しかし、対人地雷問題は決して解決してはいない。「市民運動のモデルケース」とも言われる私たち地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)は何を為しえ、何を為しえなかったのか。今後の課題は何か。
今年は日本政府が、対人地雷禁止条約の常設委員会の内、被害者支援問題の共同議長に選出されている。さらには、最近、黒河内久美元ジュネーブ軍縮代表部大使が、地雷問題担当外務省参与、いわゆる「地雷大使」に任命されている。このように日本政府のさらなるコミットメントが期待される今、私たちの運動を振り返り、さらなる行動の指針をともに考えたいと思う。
■なぜ対人地雷だったのか?
難民を助ける会は1979年、尾崎記念財団副会長(尾崎咢堂の三女)相馬雪香会長が日本の善意の伝統「困った時はお互い様」を基本理念に設立した政治・宗教に中立の民間の救援NGOである。その難民を助ける会がなぜ地雷を扱うのか?対人地雷問題に取り組み、その廃絶運動を始めて6年になる今もよく聞かれる質問である。答えは単純だ。「私たちが救援活動をする現場には、必ず、地雷があったから」。当初は対人地雷の被害者を障害者と捉え、障害者支援として救援活動を行っていた。しかし、あまりの惨状に、「被害者の救援活動だけではなく、被害者が出なくなる運動もすべき」、との考えから、対人地雷の禁止運動に踏み出すことになった。
ICBLには、現在70カ国以上の千を越えるNGOが参加している。様々な興味や関心からこの運動に携わる人がいるが、助ける会と地雷問題との遭遇、廃絶運動に至る過程は、ICBLの運動の中核を担っているNGOに共通のものだ。私たちの運動は、戦争直後、あるいは復興途上にある救援活動の現場で、戦争が終わった後に、戦争とは無関係の民間人、女性や子どもまでがその犠牲になるという、あまりに悲惨な現実を前にスタートした。ただの一度も政治キャンペーンやいわゆる反戦キャンペーンであったことはなかった。また「平和ぼけ」した人間が、無責任に机の上で始めたわけではなく、実際に戦場を見、難民の救援活動を体験した市民がその責任として始めたものである。
では、なぜ、対人地雷なのか。
対人地雷を他の通常兵器から区別しているのは、対人地雷の持つ3つの特質、つまりその無差別性、残存性、残虐性である。およそ兵器と名の付くものの中で、被害者が自らその兵器を爆発させるものは対人地雷のみ、あるいは対人地雷的なもの、のみであろう。大半の兵器は、的に狙いを定めた兵士が引き金を引き、あるいはボタンを押して起爆させる。他方、対人地雷は一度埋設されると、敵・味方、兵士・民間人、人・動物の区別無く、一定量の重量以上のもの全て爆発させるのである。さらに、その威力は一度埋められると、50年でも100年でも、誰かが踏むか、除去されない限り、その威力は半永久的に続く。現に第二次世界大戦時に埋設された地雷による被害者が今でも出る。
そして、敵を殺すことよりも、怪我をさせることを目的に作られた対人地雷の怪我は、凄惨を極める。他方、殺すことを目的としていないとは言え、兵士である成人男子の手足を吹き飛ばすように設計された対人地雷は、小柄な女性や子どもが被害者なら致命傷となる場合が圧倒的に多い。医療施設までの平均所用時間が12時間もかかる国もあり、その結果被害者の2人に1人は命を落とすことになる。
他方、こうした「非人道的」兵器の廃絶が、不可能・非現実的と言われ、今日でも禁止条約に参加する意志のない国家が多数存在するのは何故なのか?それは、対人地雷が大変安価で有効な兵器だからである。最も安価と言われる中国製の72型は300円程度と言われ、資金のない軍隊やゲリラでも手軽に入手できる。持ち運びも容易、一度埋めれば、1人の兵士も使わず、半永久的にある土地の防御、あるいは敵地を農業や市街地としての使用を不可能とさせることができる。過去のどの戦争をとって見ても、対人地雷が勝敗を分けたことはなかったにしても、特に長い国境線を持つ、中国やロシアが対人地雷を放棄しない理由の一つはここにある。そして、何より、いかなる兵器であれ、単純で、有効な兵器を、軍隊が放棄する、という前例がなかった。それとともに様々な国の軍隊が対人地雷の放棄に反対したのはその有効性もさることながら、対人地雷の廃絶運動が他の兵器にも波及することの恐れ、民間人が兵器の選択に介入することに対する猛烈な反発があったからだと言われている。
2001年1月現在、禁止条約には、139カ国が署名、109カ国が批准している。地雷問題が深刻でない国の中には、言葉は悪いが一つの流行として加入した国もかなりの数にのぼるだろう。しかし、我が国を始め、国民が自国軍隊の対人地雷の使用に異議を申し立て、軍隊が抵抗する中、全面的な廃絶という結果を勝ち取った国の多くは、対人地雷の軍事的有効性、国益、国防、という議論から抜けだし、人道的利益が軍事的利益に優るという政治的決断として、地雷の廃絶を決めた国が圧倒的に多いのだ。軍事アナリストの小川和久氏は、対人地雷問題を、民主主義の成熟度を測るバロメーター、と呼んだが、まさに、軍事のシビリアンコントロールの具現化に他ならなかった。
では、私たちはどうやって、この不可能を可能にしたのだろうか?ここで、私たちがとった戦略を振り返ってみたい。


■ICBLの戦略
当初から、私たちICBLの目標、そして、難民を助ける会の目標は、条約を作ることでも、国の政策を変えることでも、軍事政策に介入することでもなかった。地雷原で生活する人々の暮らしを変えること、地雷のない世界を実現すること、地雷の被害者のでない日を実現すること、である。その真の目的を達成するために、実際に地雷原に立ち、被害を目の当たりにしたNGOが運動を起こして行くわけだが、NGOだけの運動にはせず、広く一般に訴えかけることを心がけた。政治家に直接働きかけると同時に、女性、若者、高齢者など政治家が無視できなくなるくらいの広範な世論を作りあげていったのである。
その手法、戦略には、様々な特徴が上げられるが、まず、第1はあくまでも従来の反戦・平和運動、軍縮運動一般とは明確に一線を画し、一貫して対人地雷の廃絶のみを訴えた点である。対戦車地雷や不発弾も、除去現場では、対人地雷同様に除去の対象である。しかし、廃絶の観点からは、その軍事的有効性を重視し、対戦車地雷や他の兵器には一切言及しなかった。第2に「人道」をキーワードに据えた点。政治でも、軍事でもなく、ひたすら人道的観点から対人地雷の廃絶を訴えた。第3に、ノーベル平和賞を、ICBLとともに共同受賞したジョディ・ウィリアムズさんが常に訴えてきたように、地雷の廃絶運動を、名士あるいは特定の選ばれた人のみの運動にせず、誰もが気軽に参加できる皆の運動にしたこと。故ダイアナ元英国皇太子妃という大きなスターを得たものの、それは結果であり、また条約実現の最終局面の出来事であった。第4に、人道という切り口で、人々の理性や感情に訴える際、とにかく、理性的で正確な情報提供を心がけた点。決して感情的にならず、キャンペーンに有効な情報であっても、それが誤りならば、決してそれに流されることはしなかった。(例えば「子どもを狙って作られたおもちゃ形の地雷がある」というのは、人々の感情に訴えるには効果的であっても、情報としては誤りである。ICBLは当初より、徹底してこの誤解を解くように努めてきたが、一部では、未だにこの誤りを口にする人がいるのは大変残念だ。当該の地雷は、機能的に追及された一つの結論として出来上がったデザインに過ぎない。)
第5に各国政府と対等、あるいは指導的立場にたって、条約交渉を主導するにあたり国家や研究機関同様の情報と知識を有し、それをキャンペーン全体で共有したこと。こうした様々な戦略や特徴をもって、ICBLは地雷禁止条約を実現していくわけだが、最も重要なのは、キャンペーンの主体たるICBLが、運動の過程で決して分裂することがなかった点であろう。ICBLは、言葉も、国籍も、規模も、目的も、立場も異なる個性の強いNGOの連合体である。その立場の違いを乗り越え、対人地雷の廃絶というたった一つの共通項から出発したものの、対立や分裂の要素には事欠かなかった。しかし、意見の対立や議論はあっても、常に原点を忘れず、ICBLに分裂がなかったことが何よりの成功の原因だと思う。同時に、組織が組織自身の存続のために、目標やターゲットを変えて行くという事象もICBLには存在しなかった。ノーベル平和賞受賞者の責任として、対人地雷問題のみならず、クラスター爆弾、小型武器、少年(児童)兵の問題をも扱うべき、との声が内外から上がった時期もある。しかし、ICBLは、あくまでも「地雷禁止国際キャンペーン」であり、参加NGOが個別にこれら問題に対処するのはもちろん自由だが、ICBLとしては地雷問題以外は扱わない。対人地雷問題に一区切りがついたら、解散する、ということが常に確認されている。

■日本の取り組み
次に我が国の動きを見てみよう。大変手前味噌の表現を許して頂ければ、我が国の対人地雷問題を1NGOの運動にとどまらせず、国民運動にまで押し上げたのは、当会の前事務局長、現理事長である柳瀬房子の発案・文で作られたキャンペーン絵本『地雷ではなく花をください』シリーズの存在である。収益全てカンボジアの地雷除去に充て、絵本としては、前代未聞の五十万部を販売したこの絵本の存在で、地雷は従来の反戦平和運動ではない市民運動として、子どもからも、そのお母さんたちからも支持され、「カンボジアの除去や被害者支援にカネを出しながら、条約に入らないのは筋が通らない」と発言し、条約参加の推進力となった故小渕前首相の強力なリーダーシップへと結びついていく。もちろん、主役は小渕前首相だけではない。対人地雷全面禁止推進議員連盟の会長小坂憲次議員、自民党の国防部会長(当時)でありながら、会長代行として活躍した中谷元議員、事務局長を務めた藤田幸久議員(当時)。地雷禁止のチャリティコンサートに出演して下さった中村紘子さん、そのコンサートにお忍びではなく、ご公務としてお出ましくださった美智子皇后。柳井俊二外務事務次官、阿部信泰軍備管理・科学審議官大使(いずれも当時)をはじめとする外務省の方々。対人地雷の現状を広く伝えるため、ジャーナリストとして運動の外から問題を追い続けた朝日新聞の百瀬和元記者やビデオジャーナリストの神保哲夫氏をはじめとするマスコミの皆さん。名もないお一人おひとりの支援者同様、これらの方々の尽力があって運動は成功を見たといえよう。

■今後の課題
しかしながら、これら成功の蔭でICBLの活動には、あきらかな限界もある。禁止条約の普遍化の観点から言えば、米中ロをはじめ、インド、パキスタン、南北朝鮮、イラク、イスラエルなど50を越える国々が、現在も条約に入っていない。軍事的脅威がある国々ということもできるが、それよりも、これまでICBLがとってきた、NGOが市民社会と政治に訴えかけ、政治的決断で地雷を廃絶するという民主主義的手法が一切通用しない国々でもある。現在世界にはこれら条約未加入国を中心に、2億5千万個の地雷がいつでも使用可能な状態で武器庫に保有されており、これら貯蔵地雷の破壊は、埋められた地雷の除去同様、火急の課題となっている。さらに、地雷の除去、被害者の支援をより充実させていくことも大きな課題だ。小渕前総理の政治的決断から、地雷問題の解決のため五年間で百億円規模の支援の決定はなされたものの、その使途、スキーム、実際の運用は、約束から満3年が経過した今も万全とは言い難い。地雷問題は、国際社会で我が国が、リーダーシップを発揮できる数少ない問題の一つだ。今後も条約の普遍化、埋設地雷の除去、被害者の支援、貯蔵地雷の廃棄、これら包括的な側面から、日本の政官民が協力して積極的な活動を展開し、地雷の「被害者ゼロ」の日をめざしたい。

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