<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>駐在員・事務局員日記 - NGO 難民を助ける会</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/atom.xml" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2010-03-28:/activity/blog//4</id>
    <updated>2012-01-23T03:37:56Z</updated>
    
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type Pro 5.01</generator>

<entry>
    <title>「前に進むために、忘れずにいよう。」大震災から2年のハイチ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2012/0123_864.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2012:/activity/blog//4.864</id>

    <published>2012-01-23T10:30:17Z</published>
    <updated>2012-01-23T10:30:17Z</updated>

    <summary>2010年1月12日の大地震から丸2年が経ったハイチ共和国。東日本大震災から1年になろうとする日本。遠く離れた2つの国ですが、地震の被害から立ち上がりつつある国として、けっして無関係ではありません。ハイチの2年間を駐在員の丸山徹也が振り返ります。</summary>
    
        <category term="ハイチ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">2010年1月12日―ハイチ大地震</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1201_846_1camp.jpg" alt="テントの中で、アリスティドさんと家族" width="250" height="388" /></div>
<p class="caption">アリスティドさん（左）が奥さん（右）、2人の娘さんと一緒に暮らすテント（2012年1月11日）</p>
</div>
<p class="default">地震が起きた午後4時53分、アリスティドさん（当時25歳）は娘のダックスイーカちゃん（当時1歳）と家の中にいました。グドゥグドゥ（ハイチの人は地震の揺れをこう表現します）という音とともに建物が大きく揺れたそうです。揺れが収まり、妻のダッケンラブさん（当時19歳）や近所の人の安否を確認したあと、アリスティドさんは貴重品を持って大統領府前広場に避難しました。広場は人で埋め尽くされ混乱状態でした。布団もない中、1週間は路上で眠り、その後倒壊した家々から集めた木材、トタン板や布でテントを作ったといいます。</p>
<p class="default">地震から2年たった現在も、アリスティドさん一家は大統領府前広場の避難民キャンプで生活しています。「地面がむき出しなので雨が降ると水が溜まり、水が引くまで待たなくてはいけません。」アリスティドさんはこのキャンプで生まれた次女、ウッドミーヤちゃん（1歳）を抱いて説明してくれました。この避難民キャンプには現在も1,500以上の家族が住んでおり、ウッドミーヤちゃんのようにこのキャンプで生まれる子も多いそうです。</p>
</div>
<h2 class="default">2011年3月11日―東日本大震災</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img title="大聖堂では震災から2年のこの日、追悼ミサが開かれていました" src="/activity/blog/images/blog1201_846_2cathedral.jpg" alt="崩れかけた大聖堂の前で" width="250" height="179" /></div>
<p class="caption">崩れたままの大聖堂の前で、ハイチ人の友人とともに（2012年1月12日）</p>
</div>
<p class="default">東日本大震災の日、難民を助ける会のハイチ事務所に駐在していた私は、ハイチ人の知人からのメールで目が覚めました。「日本で地震が起きたようだがお前の家族は大丈夫か？」。私は彼が何を言っているのかさっぱり分かりませんでした。しかしニュースを見ると、壊滅した町、津波で流される車などの映像が繰り返し流れており、私は目を疑いました。日本の自宅に電話をしても繋がりません。遠いハイチの地にいて自分の国を助けることができない状況に、もどかしさを感じました。</p>
<p class="default">しかし、多くのハイチ人が私の家族や日本の状況を自分のことのように心配してくれて、私の気持ちは変わりました。私はハイチの人に必要とされている、震災から立ち上がろうとするハイチの人たちのために、私にはここですべきことがある、と再認識しました。</p>
</div>
<h2 class="default">2012年1月12日―ハイチ大地震から2年</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1201_846_3house.jpg" alt="崩れたままの大統領府の前に集まる人々" width="250" height="183" /></div>
<p class="caption">2年が経っても再建のめどが立たない大統領府前の広場にて追悼の演説を聞く群衆（2012年1月12日）</p>
</div>
<p class="default">2012年1月12日時点で、ハイチではまだ50万人以上の被災者がテントで生活しています。数ヵ月後に訪れるハリケーンの季節に備えて、テントで暮らしている人々はもっと安全な住居に移る必要があります。</p>
<p class="default">2011年の9月ごろからポルトープランス市内に点在する避難民キャンプの撤去が行われてきました。キャンプから移動する費用として、一家族あたり20,000グルド（約35,000円）が支給されます。しかしこの金額では半年分の部屋を借りるのがやっとです。都市部に住めない人たちは、親戚の家に住まわせてもらうか、郊外の別のキャンプに移動するだけで、問題の根本的な解決には至っていません。</p>
<p class="default">しかし暗いニュースばかりではありません。昨年5月のマーテリー新大統領就任以降、電気の供給が安定し、街には街灯が増え、被災後閉店していたお店が再開し始めました。瓦礫も少しずつですが撤去され始め、ゴミも定期的に収集されるようになっています。2010年の冬には想像できなかったクリスマスツリーやイルミネーションも、昨年末にはあちこちで見かけました。灯りに照らされた街を見ていると、少しずつですが復興が進んでいるなと感じます。</p>
</div>
<h2 class="default">そして2012年3月11日―東日本大震災から1年</h2>
<p class="default">もうすぐ東日本大震災から1年になります。そしてハイチに震災2年後の日が来たように、日本にもその日が訪れます。震災2年後の日本はどうなっているのでしょうか。ハイチでも日本でも、復興への道のりは決して平坦ではありません。しかし覚えていてください。カリブ海に浮かぶ島国で、日本と手を携えてその道のりを歩んでいる人々がいることを。</p>
<p class="default">An N Sonje Pou N Vanse.<br />ハイチクレオール語で「前に進むため、忘れずにいよう。」</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>日本：「虎舞」をめぐる物語</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/1228_845.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.845</id>

    <published>2011-12-28T02:49:50Z</published>
    <updated>2011-12-28T02:49:50Z</updated>

    <summary>「太鼓が流されて......」
ことの始まりは9月の末、小林さんのこぼした一言でした。
小林益實さんは、岩手県沿岸部の大槌町に本部を置く障害者施設「わらび学園」の理事長です。すぐ南隣りの釜石市にあったわらび学園分園の建物は今回の震災で完全に失われ、通所者7名と職員2名が死亡または行方不明という大きな被害を受けました。
難民を助ける会では、震災後も大槌町で活動を続けるわらび学園に、何度も物資配付に伺っていました。でも、私が太鼓の話を聞いたのはこの日が初めてでした。
「太鼓って、和太鼓ですか？　何に使ってたんですか？」
私の質問に、小林さんは詳しく話をしてくれました。</summary>
    
        <category term="日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">三陸の伝統芸能「虎舞（とらまい）」が結ぶ地域のきずな</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1112_845_6toramai.jpg" alt="虎舞のようす。黄色い虎2頭が跳ねる" width="250" height="161" /></div>
<p class="caption">鵜住居青年会による虎舞。虎が笹で牙を磨くようすを表す「笹喰み」の踊り</p>
</div>
<p class="default">三陸海岸の漁師町には、広く「虎舞」という郷土芸能が伝えられています。獅子舞のような虎の装束を2人で操り、太鼓、手平鉦（てびらがね）、笛のお囃子にのせて、力強く、威勢よく、虎が跳ね踊ります。虎は「一日に千里を行って千里を帰る」と言われ、火を抑える力を持つとされるその姿には、漁の無事と火の用心の願いが込められているそうです。</p>
<p class="default">わらび学園の分園のあった釜石市の鵜住居（うのすまい）でも、虎舞は盛んに演じられていました。学園の通所者の方達は、練習を積み重ね、毎年秋の学園祭や地域のお祭りなどで、近隣の皆さんに虎舞を披露してきたのです。虎舞は、わらび学園と地元の方々をつなぐ、大切なイベントでした。</p>
<p class="default">小林さんの言う「流されてしまった太鼓」とは、この虎舞を支える楽器のことでした。</p>
</div>
<h2 class="default">太鼓を求めて</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1112_845_4shinkawa.jpg" alt="新川太鼓店で太鼓を前に、新川さんと及川" width="250" height="215" /></div>
<p class="caption">太鼓を作ってくださった大船渡の新川さん（左）。工房はかろうじて津波を逃れました。右は盛岡事務所の及川亮（2011年10月21日）</p>
</div>
<p class="default">豊かな恵みをもたらす海、時に牙をむく海。虎舞には、そんな海と代々向き合い続けてきた岩手の人々の想いが込められています。わらび学園の方々が伝統の虎舞をこれからも受け継ぎ、虎舞を通じて地域との交流を深められるよう、難民を助ける会ではわらび学園に太鼓を送ることを決めました。</p>
<p class="default">太鼓は地元で作ってもらおうと工房を探しまわり、ようやく見つけたのが大船渡市の「新川靴太鼓店」でした。店主の新川さんは、靴屋を営む傍ら、太鼓の製作を請け負っています。ご自宅兼工房は大船渡市盛町にあり、津波の被害は免れました。本来虎舞には二つの太鼓が必要なのですが、今回の予算では小さいもの一個が精一杯かと思っていました。しかし新川さんに事情を話したところ、それは断れない、とおっしゃって、通常のほぼ半額で、大きい太鼓を一つ作ってくださったのです。なんとお礼を言っていいかわかりませんでした。心からの感謝の気持ちをこめて握った新川さんの手は、とても温かかったです。</p>
</div>
<h2 class="default">虎舞にかける三陸の人々の想い</h2>
<p class="default">太鼓は無事完成し、わらび学園に届きました。しかし、もう一つ問題がありました。虎舞装束の顔部分、肝心の「虎頭」が無いのです。太鼓とともに津波で失われてしまったので、制作者に頼んだところだが、注文が殺到していて完成がいつになるか分からないとのこと。学園祭のときだけでもどこかから借りられないかと私は方々に電話をかけましたが、なかなか手配は付きませんでした。しかし、途方に暮れていたところに一本の電話が来ました。地元、鵜住居（うのすまい）の虎舞青年会代表、土沢さんでした。</p>
<p class="default">「お電話をいただき、青年会会員で集まって話をしました。私たちも虎頭と太鼓を津波で失っています。今作ってもらっているが、手に入ったとしても、虎頭は神事で使うものなので、貸し出すことはできません。申し訳ない。」<br />「しかし、わらび学園さんのことは以前から知っています。話し合いの結果、我々で虎頭をもう一揃え発注し、わらび学園さんに贈呈することにしました。少し待っていただけますか。」</p>
<p class="default">虎舞青年会の皆さんはほとんどが自宅を失い、土沢さんも仮設住宅住まいです。にもかかわらず、このお申し出をくださったのです。虎頭の費用は難民を助ける会から、と申し出ましたが、きっぱり断られました。<br />「虎舞は漁師町の心ですから。」<br />皆さんの志に、私は電話口で泣きました。</p>
<h2 class="default">明日に向けた、小さな虎舞</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1112_845_1dance.jpg" alt="新しい太鼓と小さな虎頭で舞う" width="250" height="214" /></div>
<p class="caption">足りない楽器はあるもので代用。今年も虎舞ができました（2011年10月28日）</p>
</div>
<p class="default">わらび学園の今年の学園祭には、新しい太鼓1つと、お飾り用の小さな虎頭が用意されました。小林さんが太鼓を叩いてみると、「いい音だなー」と皆さんから笑みがこぼれます。学園の皆さんは、太鼓と、鼓笛隊用の小太鼓と、鉦（かね）の代わりのパイプ椅子と、小さな虎頭とで、虎舞を舞いました。</p>
<p class="default">「小さな虎舞だけど、それでもいい。一歩踏み出せたんだから。」私はつぶやきました。</p>
<p class="default">この情熱は、必ず明日につながって行くと思います。虎舞を通じた皆さんの絆に関わることができ、感謝しています。ご協力いただいた皆さま、そして難民を助ける会の支援者の皆さまに、心より御礼申し上げます。</p>
</div>
<div class="iBlockB01">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1112_845_3all.jpg" alt="太鼓を囲んで記念写真" width="600" height="268" /></div>
<p class="caption">今年の虎舞を終えたわらび学園の皆さんと。右端が理事長の小林益實さん、左端が盛岡事務所の及川亮（2011年10月28日）</p>
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ハイチ：ブードゥー教と「死者の日」</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/1216_842.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.842</id>

    <published>2011-12-16T10:01:19Z</published>
    <updated>2011-12-16T10:01:19Z</updated>

    <summary>難民を助ける会が2010年の大地震以来支援を続けているハイチ共和国。フランス語が元になった「ハイチ・クレオール語」が使われ、人種的にはアフリカ系が大多数を占めます。そのハイチで浸透している宗教が、「ブードゥー教」です。ゾンビ映画で聞いたことがあるかもしれませんが、実際はどんなものかご存知ですか？</summary>
    
        <category term="ハイチ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<ul class="linkListA01">
<li><a href="/join/event/2011/1221_819.html">12月21日（水）はハイチ活動報告会へ：大地震から2年―子どもたちは今</a></li>
</ul>
<h2 class="default">ハイチの「ブードゥー教」とは？</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1112_842_4shrine.jpg" alt="blog1112_842_4shrine.jpg" width="250" height="328" /></div>
<p class="caption">児童養護施設「救いの手」はブードゥー教の寺院でもあります。建物内部に設けられた祭壇</p>
</div>
<p class="default">ここハイチは、カリブ海の文化とアフリカの文化、そして旧宗主国であるフランスの文化が混じりあい、独自の発展を遂げた国です。その性格は、この国の宗教にも表れています。統計では人口の8割がカトリック教徒とされていますが、同時に国民の2人に1人が「ブードゥー教」を信仰しているともいわれます。ブードゥー教とは、ハイチがフランスの植民地であったころ（17世紀後半からハイチ独立の1804年まで）に、奴隷貿易でハイチに強制連行されたダホメ王国（現在のベナン）をはじめとする西アフリカの人々の信仰と、カトリックの信仰とが、ハイチで習合して成立したといわれる宗教です。教義や経典はなく、様々な精霊を信仰します。</p>
</div>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1112_842_3before.jpg" alt="blog1112_842_3before.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">地震で被害を受けた「救いの手」の建物を撤去したところ。ブードゥー教で重要な役割を持つ柱を残しました（2011年3月30日）</p>
</div>
<p class="default">ハイチの首都、ポルトープランスにある児童養護施設「救いの手」。難民を助ける会は、地震で大きな被害を受けたこの施設で、新しい仮設施設の建築を支援してきました（<a href="/activity/report/2011/0905_739.html" target="_blank">活動ニュース「児童養護施設と理学療法センターが完成しました」</a>）。</p>
<p class="default">この施設は、親のいない家庭や貧しい家庭の子どもたちが暮らす場であると同時に、ブードゥー教の寺院としても使われています。建物の中心には、震災前から、ブードゥー教の儀式に使われる大きな柱（「ポトミタン」と呼ばれます）が立っています。「救いの手」は2010年1月の地震で大きな被害を受け、難民を助ける会が建物の再建を支援することになりました。その際、施設長のアンドレ・ジョゼフ・イスマイートルさんが望んだことは、このポトミタンを取り壊さずに残すことでした。難民を助ける会ではその意思を汲み、柱を残したまま、損壊した建物を撤去し、再びその柱を取り囲むように新しい施設を建てました。</p>
</div>
<h2 class="default">新しくなった建物で祝われた「死者の日」</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1112_842_2ritual.jpg" alt="blog1112_842_2ritual.jpg" width="250" height="376" /></div>
<p class="caption">「死者の日」の儀式が始まります（2011年11月1日）</p>
</div>
<p class="default">今年の11月1日、私たちハイチ駐在員は、「救いの手」で開かれた、ブードゥー教の「死者の日」の儀式に招かれました。</p>
<p class="default">「死者の日」という習慣はカトリックにその起源があります。カトリックの教えでは、死者は天国に入る前にしばらく罪の浄化を受けなくてはならないとされており、この浄化の期間が短くなるよう祈りをささげるのがカトリックの死者の日です。</p>
<p class="default">ブードゥー教の死者の日は、このカトリックの習慣がハイチで変化したものと考えられています。11月の1日と2日、信者はお墓参りをし、先祖に花やお酒を供えるとともに、家族や友人同士で集まり、「ゲーデ」と呼ばれる死と性の精霊たち、そしてその長である「バロン・サムディ」（「土曜男爵」）をたたえます。</p>
<p class="default">夜9時、新しくなった「救いの手」の建物の中で、震災を乗り越えた柱「ポトミタン」を囲んで、死者の日の儀式が始まりました。施設長のアンドレさんが、儀式の司祭として、白い衣装に身を包み、マラカスを手に登場しました。同じように白い服の女性信者が柱の周辺に集まり、太鼓の音に合わせて踊り始めます。ポトミタンは、精霊が下りてくる「よりしろ」になると考えられています。司祭はときおりラム酒を口に含み、ゲーデの好物と言われる唐辛子のソースをあたりにふりまきます。踊りは2時間以上続き、信者の中には恍惚状態となって（「精霊が憑依した」と言われます）、倒れそうになる人も出てきます。</p>
<p class="default">宗教儀式というと私はもっと厳粛なものをイメージしますが、今回私が参加したブードゥー教の死者の日は、太鼓のリズムが鳴り響き、信者ではない私たちのような人も大勢集まって、一緒にお祝いをする楽しいものでした。新しい「救いの手」が、子どもたちの施設としての役割を果たすだけでなく、寺院として地元の人々に大切にされていることを嬉しく思うとともに、その土地の文化を尊重した活動の重要性を実感した夜でした。</p>
</div>
<div class="pBlockA01">
<div class="col1">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1112_842_6ritual.jpg" alt="blog1112_842_6ritual.jpg" width="300" height="234" /></div>
<p class="caption">「死者の日」の儀式で踊る人たち（2011年11月1日）</p>
</div>
<div class="col2">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1112_842_1nakamura.jpg" alt="blog1112_842_1nakamura.jpg" width="300" height="234" /></div>
<p class="caption">新しくなった「救いの手」の建物の前で、子どもたちに囲まれる駐在員の中村啓子</p>
</div>
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ザンビア：白熱の大統領選</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/1128_823.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.823</id>

    <published>2011-11-28T03:06:25Z</published>
    <updated>2011-11-28T03:06:25Z</updated>

    <summary>選挙といえばどこでも一大イベント。まして国のトップを決める大統領選ともなればなおさらです。ザンビアで9月に開催された大統領選では、日本とはずいぶん様子の異なる選挙戦が繰り広げられたようです。首都ルサカでエイズ対策事業に取り組む駐在員の芦田崇がお伝えします。</summary>
    
        <category term="ザンビア" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1111_823_2sign.jpg" alt="blog1111_823_2sign.jpg" width="250" height="189" /></div>
<p class="caption">現職（当時）のルピア・バンダ氏支持を呼びかける横断幕が幹線道路に掲げられています</p>
</div>
<p class="default">日本ではあまり報道されなかったかもしれませんが、9月20日にザンビアの大統領選挙を含む総選挙が実施されました。10人の大統領候補者が出馬しましたが、実質的には現職のルピア・バンダ氏と最大野党のマイケル・サタ氏の一騎打ちとなり、ザンビア全土で7月下旬から激しい選挙戦が繰り広げられました。</p>
<p class="default">ザンビアでは、日本のような選挙ポスターの掲示板が存在しないため、街では人家の壁から道路標識、幹線道路沿いの巨大な広告塔に至るまで、あらゆる場所に選挙ポスターが張られます。（噂では、対立候補者のポスターを夜中にはがすアルバイトもあったそうです！）また、各候補者の顔写真が入ったチテンゲ（ザンビアの女性がスカートのように使う布）が大量に配られ、多くの女性たちが「歩く広告塔」となっていました。客待ちのタクシーさえも与党、野党それぞれの旗を掲げてにらみ合います。さらには、メディアも与党寄り、野党寄りと明確に分かれていて、連日敵対政党の足を引っ張る内容の報道をし、対立ムードをあおっていました。</p>
</div>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1111_823_1ashida.jpg" alt="blog1111_823_1ashida.jpg" width="250" height="250" /></div>
<p class="caption">当選したサタ氏のチテンゲをまとったザンビア事務所職員のアリス（右）と、駐在代表の芦田崇</p>
</div>
<p class="default">そんなことから、投票日が近付くに伴って治安が悪くなるかと心配していましたが、選挙前は小規模な衝突や暴力行為が報道されたくらいで、9月20日の選挙当日は大きな混乱もなく投票が実施されました。ところが選挙の2日後、開票作業が遅れていることに腹を立てた人々が暴動を起こし、当会職員も自宅待機措置をとらざるを得ない事態となりました。</p>
<p class="default">最終的には、投票から3日後の23日未明、僅差ながら野党サタ氏の勝利が発表されました。発表直後、首都ルサカでは歓喜したサタ氏の支持者がパレードという名の大騒ぎを起こしました。空砲や歓声、ブブゼラに車のクラクションが夜通し響き、その晩は全く眠れませんでした。</p>
</div>
<p class="default">止まらない不正行為や汚職事件に業を煮やしたザンビア国民の支持を得て勝利した、72歳のサタ氏。年間約45,000人もの人々がエイズで命を落としているこの国にはまだまだ多くの課題があります。長らく最大野党党首として政権批判を続けてきた彼が国民の期待に応えることができるか、注目されています。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>タジキスタンの首都ってどんなところ？</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/1031_786.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.786</id>

    <published>2011-10-31T07:45:32Z</published>
    <updated>2011-10-31T07:45:32Z</updated>

    <summary>サッカーワールドカップの対日本戦でにわかに注目を浴びたタジキスタン共和国。今回は、難民を助ける会の事務所がある首都ドゥシャンベの街や人々の様子を、駐在員の中川善雄がご紹介します。</summary>
    
        <category term="タジキスタン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">美しい街路樹、色とりどりの建物</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1111_786_1boardwalk.jpg" alt="blog1111_786_1boardwalk.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">首都ドゥシャンベの目抜き通り。木漏れ日の中を散歩すると人々が気さくに声をかけてくれます</p>
</div>
<p class="default">ドゥシャンベは2時間もあれば車で一回りできてしまう、小ぢんまりとした街です。市街地を縦断するように目抜き通りが走り、たくさんの街路樹が植えられています。日差しの強いタジキスタンですが、街路樹の枝葉が日を和らげるので、遊歩道を散歩するのが週末の日課になっています。現地の方も木漏れ日の中、家族や友人と遊歩道のベンチに腰掛け、談笑しているのをよく見かけます。通りに面して、明るいピンクや青、緑色などに塗られた政府機関の建物や学校が並び、街に彩りを添えています。</p>
</div>
<h2 class="default">9月9日は何の日？</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1111_786_2parade.jpg" alt="blog1111_786_2parade.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">独立記念日に行われたパレード。街中お祝いの雰囲気で包まれました</p>
</div>
<p class="default">今年はタジキスタンの旧ソビエト連邦からの独立20周年にあたり、独立記念日の9月9日には式典やパレードが催されました。記念日に合わせ、大規模な道路工事が行われて急速に整備が進み、今も高層ビルや大きな図書館などの建設が続いています。町の中心部にほど近い迎賓館前には、噴水の並ぶ広々とした公園が完成し、バラなどたくさんの花が植えられ、市民の憩いの場になっています。このような変化を見ると、独立後の内戦を経て、タジキスタンが今まさに発展しているという印象を受けます。</p>
</div>
<h2 class="default">バリアフリー度は・・・</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1111_786_3stairs.jpg" alt="blog1111_786_3stairs.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">難民を助ける会が支援する障害者家庭が住むアパート。エレベーターはなく階段は外付け。中には手すりのない階段も</p>
</div>
<p class="default">タジキスタンで障害者支援に携わるようになってから、市内のバリアフリーが気になるようになりました。道路が整備されても、舗装されずに段差が残っている歩道や角度の急なスロープをよく見かけます。新しい建物を除いて、アパートや学校など、ほとんどの建物にはエレベーターがないため、車いすや松葉杖を使用している人や四肢に麻痺を持つ人が暮らしやすくなるには、まだまだ時間がかかりそうです。</p>
</div>
<h2 class="default">気さくな人たちとの会話が楽しみ</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog1111_786_4nakagawa.jpg" alt="blog1111_786_4nakagawa.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">仲良くなった薬屋の店主・オビードさんと駐在員の中川善雄（左）。この後アイスクリームをご馳走になりました</p>
</div>
<p class="default">タジキスタンの人々は、気さくな気質を持った人が多いと感じています。私は中国人と間違えられることがほとんどで、大抵は「ニーハオ（中国語で「こんにちは」の意）」と声をかけられて会話が始まります。片言の現地語でも会話は盛り上がりますが、相手が英語を話せる知り合いに電話をし始め、通訳をしてもらいながらさらに話に花が咲くこともよくあります。日本人が珍しいのも手伝ってか、一度顔見知りになると、会う度に声をかけてくれます。事務所の近くでは、公園の前を通る度に、子どもたちが手を振って挨拶をしてくれます。</p>
</div>
<p class="default">タジキスタンへ赴任して半年が経ちました。最近はワールドカップサッカー予選が日本と同じ組になり、タジキスタンのことがメディアで取り上げられる度に喜んでいます。これからも少しずつ現地の様子を皆さんにお伝えしていきます。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>9.11同時多発テロ事件から10年を振り返って</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/1005_780.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.757</id>

    <published>2011-10-05T08:35:05Z</published>
    <updated>2011-10-05T08:35:05Z</updated>

    <summary>2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロから約1ヵ月後に、パキスタンでアフガン難民に対する緊急支援に携わった事務局長の堀江良彰。当時を振り返り、現在のアフガニスタン、そしてこれからの支援活動についての思いを語ります。</summary>
    
        <category term="アフガニスタン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">10年前、アフガニスタン出張から戻った4日後に・・・</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog110_758_1.jpg" alt="blog110_758_1.jpg" width="250" height="171" /></div>
<p class="caption">パキスタンに逃れてきたアフガニスタン難民への食料支援を行う堀江（写真右）（2001年10月、ペシャワール）</p>
</div>
<p class="default">10年前の9月11日のことは、未だに昨日のことのようによく覚えています。夜、帰宅してテレビをつけると、ニューヨークの世界貿易センタービルから煙が出ている映像が流れていました。その数分後、2機目の飛行機が南棟に突入し炎上したのを見て、事故ではなく事件だと確信しました。</p>
<p class="default">丁度、9.11の4日前に、私はアフガニスタン出張から戻ったばかりでした。3年におよぶ干ばつで、110万人が国内避難民となっており、その支援の可能性を調査したのです。当時はタリバン政権時代。タリバンが国土の95％を実効支配していると言われ、近く全土を支配する可能性もないとはいえない状況でした。日本は大使館を置いておらず、治安も悪く、すぐに難民を助ける会が支援を開始するには課題も多くありました。一方で目の前の人道的危機に何もできないというのももどかしく、なんらかの手段で支援できないか逡巡しているときに、9.11の事件が発生したのです。</p>
<h2 class="default">テロを機に、アフガニスタン支援を本格化</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog110_758_2.jpg" alt="blog110_758_2.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">9.11から1年後のカブールの様子。今も町並みはあまり変わらない（2002年8月）</p>
</div>
<p class="default">事態は一変しました。ほどなく、このテロの首謀者とされたビン・ラディンが居住するアフガニスタンに対する米英の空爆の可能性が示唆されるようになります。同国から大量の難民が隣国のパキスタンなどに押し寄せることが予想されました。そこで、私も理事長の長（当時の事務局長）とともに10月2日にパキスタンに向かい、アフガニスタンから逃れてきた方たちに緊急に食料などを支援しました。<br />10月7日にアフガニスタン空爆が始まり、翌月にはタリバン政権は崩壊、首都カブールから撤退しました。難民を助ける会はカブール事務所を開いて地雷対策活動を開始。他にも多くのNGOや国際機関が支援を実施し、アフガニスタンは復興に向け歩みを進めました。治安も安定し、インフラ整備も進み、活気を取り戻しつつありました。しかし、2004年頃から再びタリバンや武装勢力が勢力を取り戻し、治安は悪化の一途をたどります。難民を助ける会も2008年からは安全上の理由から日本人を駐在させることができなくなりました。以降、カブール事務所はアフガニスタン人のスタッフのみで活動を継続しています。</p>
<h2 class="default">関心を持ち続けることが私たちの責務</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img class="mt-image-none" src="/activity/blog/images/blog110_758_3.jpg" alt="blog110_758_3.jpg" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">校庭で遊ぶ子どもたち。この子たちの平和な未来のために、支援活動を続けてまいります（2010年11月、カブール）</p>
</div>
<p class="default">9.11から10年が経過しましたが、残念ながらアフガニスタンの先行きは依然不透明なまま、混迷を極めています。しかし、国際社会が今ここで関心を失ってしまったら、状況は一層悪化するばかりです。多くの人道上の悲劇は、世界から関心を持たれなくなった国で起きてきました。現在は、日本人が短期間出張するのさえ、様々な安全上の配慮が必要な状況です。しかし、カブール事務所と緊密に連携を取りながら、同国での活動を継続していくことが私たちの責務だと考えています。</p>
</div>
</div>
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>スーダン：ナイル川の水辺で暮らす人々</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/0921_757.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.757</id>

    <published>2011-09-21T05:35:05Z</published>
    <updated>2011-09-21T05:35:05Z</updated>

    <summary>難民を助ける会はスーダンで地雷回避教育活動を続けています。2011年8月から、新たにスーダン中部のコスティで活動を開始しました。世界最長の川、ナイル川は、スーダンの首都ハルツーム、コスティ、そして今年7月に生まれた新国家、南スーダンの首都ジュバを貫いて流れています。ナイル川のほとり、コスティの人々の暮らしを、瀬戸寛駐在員がご紹介します。</summary>
    
        <category term="スーダン" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">ナイル川で水浴び！？</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><iframe src="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;msid=215929547797760470047.0004acf411bb3176dcdbb&amp;hl=ja&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,0&amp;ie=UTF8&amp;t=m&amp;vpsrc=6&amp;ll=12.382928,31.992188&amp;spn=21.342975,21.884766&amp;z=4&amp;output=embed" width="250" height="250" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0"></iframe><br /><small><a style="color:#0000FF;text-align:left" href="http://maps.google.co.jp/maps/ms?msa=0&amp;msid=215929547797760470047.0004acf411bb3176dcdbb&amp;hl=ja&amp;brcurrent=3,0x0:0x0,0&amp;ie=UTF8&amp;t=m&amp;vpsrc=6&amp;ll=12.382928,31.992188&amp;spn=21.342975,21.884766&amp;z=4&amp;source=embed">より大きな地図で表示</a></small></div>
<p class="caption">上から、ハルツーム、コスティ、南スーダンの首都ジュバ。黄色い線が白ナイル、水色が青ナイルです</p>
</div>
<p class="default">世界一長い川、ナイル川。この川には2つの源流があり、それぞれその水の色から「白ナイル」「青ナイル」と呼ばれています。白ナイルは南北スーダンをほぼ縦断するように流れていて、スーダンの首都ハルツームで青ナイルと合流した後、エジプトを抜けて地中海に流れ込んでいます。難民を助ける会が新たに地雷回避教育を開始した町「コスティ」は、スーダン中部、白ナイルのほとりに位置する、緑が豊富な素敵な町です。</p>
<p class="default">コスティに住む人々と白ナイルは、切っても切れない関係にあります。白ナイルは豊富な水産資源を提供してくれるだけでなく、飲料水、農業用水としても利用され、その水辺は洗濯場、洗車場、ときにはプールにもなります。</p>
</div>
<div class="iBlockB01">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1109_757_1nile.jpg" alt="大河白ナイルの川岸で、舟を準備する人々" width="600" height="449" /></div>
<p class="caption">雨期に水量を増した白ナイルは、川というより湖のようです</p>
</div>
<p class="default">白ナイル沿いの土手は、運動不足気味な私のお気に入りの散歩コースです。外国人があまり住んでいないこの町では、私が散歩をしていると、外国人を珍しがって子どもたちが集まってきて、写真撮影が始まります。元気な子どもたちは、「一緒に水浴びをしよう！」と誘ってくれるのですが、水着を用意していない私は、川に足を浸ける程度で勘弁してもらっています。川で泳ぎ、ときには釣りをして遊んでいる子どもたちには、いつも元気を分けてもらっています。</p>
<div class="pBlockA01">
<div class="col1">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1109_757_3cars.jpg" alt="河原の水の中で車を洗う" width="300" height="226" /></div>
<p class="caption">リキシャ（3輪タクシー）の洗車も川の中で</p>
</div>
<div class="col2">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1109_757_2seto.jpg" alt="駐在員の瀬戸寛と、コスティの子どもたち" width="300" height="224" /></div>
<p class="caption">水浴びを楽しむ子どもたちと</p>
</div>
</div>
<h2 class="default">白ナイルは祖国に続く</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1109_757_4camp.jpg" alt="テントの並ぶ帰還民キャンプ" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">帰還民の方々が生活するキャンプ。フェリーの定員に限りがあるため、乗れるまで半年以上待つ人もいます</p>
</div>
<p class="default">子どもたちが元気に遊ぶのどかな風景の一方で、コスティの町から車で20分くらいの所には、南スーダンに向かうフェリーを待つ人々約14,000人が生活する帰還民キャンプがあります。南スーダンをルーツとする人々が、今年7月の南スーダン独立を受けて、祖国に向かう船を待っているのです。およそ週に1便のフェリーは、白ナイルを南に遡り、約2週間の船旅の後、南スーダンの首都ジュバに到着します。コスティのキャンプでテント生活をしながら祖国行きの船を待つ人々が、南スーダンで地雷や不発弾の事故に遭うことなく、無事に新生活をスタートさせてほしい。そんな思いで、私たちは地雷回避教育活動を続けています。</p>
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>日本に渡ってきた難民や定住外国人のための研修会に参加しました</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/0906_749.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.749</id>

    <published>2011-09-06T03:00:05Z</published>
    <updated>2011-09-06T03:00:05Z</updated>

    <summary>難民を助ける会の姉妹団体・社会福祉法人「さぽうと21」では、日本へ渡ってきた難民や中国からの帰国者、日系人とその子弟など、定住外国人への相談や学習指導、生活支援を行っています。毎年夏にはお互いの意見交換や悩みを相談し合う場として研修会を実施し、難民を助ける会のスタッフも、講師やワークショップの進行役を務めるなどのお手伝いしています。
今年の研修会は、「被災地支援の現場から－私たちの理解・実践を考える夏－」と題して、8月の13日～15日の3日間、東京の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催。関東はもちろん、関西、遠くは高知から41人もの高校生から大学院生までの若者が参加しました。東京事務局の宮崎淳が報告します。</summary>
    
        <category term="日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">難民、外国人としての気負いなく、自然体で</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img title="水原さんのお話を熱心に聞いています" src="/activity/blog/images/blog1108_749_1workshop.jpg" alt="夏期研修会１日目、水原由人さんの話を熱心に聞く支援生たち" width="250" height="187" /></div>
<p class="caption">元カンボジア難民・水原由人さん（右）の話を熱心に聞く支援生たち</p>
</div>
<p class="default">初日、高橋敬子・さぽうと21事務局長による挨拶のあと、元難民でカンボジア出身の水原由人さん（※）が、ご自身の難民としての体験や現在の思いなどを語られました。<br />続いて、難民を助ける会事務局次長の大西清人より、難民を助ける会のこれまでの活動、そして今回の研修の大きなテーマである東日本大震災の被災地での活動について報告しました。<br />その後、参加者とさぽうと21スタッフによる面談が別室で行われました。若者たちは、いずれも苦労しながら生活支援を受けて暮らしているため、日頃困っていることや悩みがある人はそこで個別に相談することができます。私は彼らの入室案内係として、面談までの待ち時間にたくさんお話をすることができました。国籍や出身地などの話から海外旅行の話に発展したり、学校やご近所の話題で盛り上がったりと、楽しい時間を過ごすことができました。またレクリエーションも行われ、参加者たちは「伝言ゲーム」などで盛り上がりました。<br /><br /></p>
</div>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img title="とても充実した１日でした" src="/activity/blog/images/blog1108_749_2odaiba.jpg" alt="都内の要所を見学し、みんなで記念撮影" width="250" height="187" /></div>
<p class="caption">社会見学の後、みんなで記念撮影</p>
</div>
<p class="default">2日目、研修参加者はバスで社会見学に出かけ、東京消防庁の防災館で実際に地震の揺れを体験したり、国会や、尾崎行雄（難民を助ける会創設者・相馬雪香の父）記念館などを見学して回りました。夜には、さぽうと21の支援を受けている大学院生が自主制作した映画を鑑賞。参加者と同じような境遇の、海外にルーツを持つ子どもたちを描いている映画で、見終わった後は自分の体験と重ね合わせたり、自分よりも過酷な体験をした仲間たちがいることに驚いていました。</p>
</div>
<h2 class="default">「私たちを育ててくれた日本のために、少しでも役に立ちたい」</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img title="日本のために役立ちたいという支援生たち" src="/activity/blog/images/blog1108_749_3groupwork.jpg" alt="被災地のために何ができるか話し合いました" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">被災地のために何ができるか話し合い、発表しました。（左から2人目が難民を助ける会の宮崎淳）</p>
</div>
<p class="default">最終日には、高校生、大学生･専門学校生、大学院生に分かれて「東日本大震災の被災地に対して、私たちに何ができるのか」をテーマにグループワークを行いました。私は大学生・専門学校生グループに参加しました。私の隣に座ったのは、日本生まれ日本育ち、現在大学1年生のベトナム難民2世の男子学生でした。日本語も流ちょうで見た目も日本人の若者と同じようなので、最初は日本人の学生ボランティアだとばかり思っていたほどでした。<br /><br />私はこのグループのファシリテーターを務めました。参加者たちは、震災当日の自分自身の思いや、被災地に対して十分貢献できない苛立ちなどを次々と述べてくれました。中には、「外国からやってきた自分を育んでくれた日本がこんなことになってしまい、少しでも役に立ちたい」と涙ながらに語ってくれる若者もいました。<br /><br />今回、私が出会った若者たちは、みんなエネルギーに満ち、私たちが圧倒されるようなバイタリティにあふれていました。私たちには語らない、辛い経験を持った人もいるでしょう。しかし外国から日本に渡ってきたがゆえに日本語と祖国の言語を流暢に話せる人もいれば、それぞれの国の事情に精通している人もいます。そして彼らの多くは、そうしたメリットを生かして、前向きに生活しています。<br /><br />そんな彼らに出会って刺激を受けた、実に貴重な3日間となりました。</p>
</div>
<p class="default">※水原由人さんについてはこちら</p>
<ul class="linkListA01">
<li><a href="/activity/report/2009/0115_203.html">元カンボジア難民水原由人さんインタビュー ―支援される側からする側へ―</a></li>
</ul>
<p class="default">姉妹団体「さぽうと21」についてはこちら</p>
<ul class="linkListA01">
<li><a href="http://www.support21.or.jp/index.html" target="_blank">社会福祉法人 さぽうと21</a></li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>アメリカの大学生2名がインターンに来てくれました</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/0815_723.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.723</id>

    <published>2011-08-15T06:40:28Z</published>
    <updated>2011-08-15T06:40:28Z</updated>

    <summary>東日本大震災以降、海外からの観光客が激減する中、6月初旬から約2ヵ月間にわたり、アメリカから2人の大学生がインターンとして難民を助ける会に参加してくれました。活動を終えたナエル・ケルザビさん（20歳）とグレン・ボーガーダスさん（21歳）にお話を伺いました。</summary>
    
        <category term="日本" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">「日本のために何かしたくて」</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img title="二人とも大活躍でしたね。" src="/activity/blog/images/blog1108_723_1naelglenn.jpg" alt="スタッフと一緒に記念撮影" width="250" height="167" /></div>
<p class="caption">難民を助ける会のスタッフと一緒に。後列左がグレンさん、右がナエルさん</p>
</div>
<p class="default">Q.難民を助ける会で活動しようと思った理由を教えてください。<br /><strong>ナエル</strong>：「高校時代に半年間日本に留学して以来、また日本に戻りたいとずっと思っていましたが、今回の大震災が起きてから、どうしても日本に行ってボランティアをしたいと思いました。難民を助ける会はホームページを見て知りました。他のNGOに比べて高齢者や障害者への支援に力を入れていると知り、そのビジョンに共感したので選びました。」<br /><strong>グレン</strong>：「私は3年前に日本に来たことがあり、それ以来日本語を勉強していました。私も震災で被災した人たちのために何か手伝いたいと思い、大学を通じてインターン受け入れ先を探したところ、その中に難民を助ける会がありました。難民を助ける会の元スタッフだった同級生の勧めもあり、ここで活動することにしました。」</p>
</div>
<h2 class="default">「海外で聞くのと、日本で実際に見るのとでは大違いでした」</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img title="避難所の衛生活動に参加" src="/activity/blog/images/blog1108_723_2futon.jpg" alt="古い布団を運ぶグレンさんとナエルさん" width="250" height="187" /></div>
<p class="caption">避難所の衛生活動に参加し、古くなった布団を運ぶお手伝いをするナエルさん（手前から2番目）とグレンさん（2011年7月5日 宮城県石巻市蛤浜にて）</p>
</div>
<p class="default">Q.6月29日から1週間、宮城県で支援活動に参加されましたが、いかがでしたか？<br /><strong>ナエル</strong>：「海外のテレビを通じて日本のことを知るのと、実際に被災地をこの目で見るのとでは大違いでした。被災の深刻さや人々の苦労は、海外のニュースでは伝わらないのだと思いました。」<br /><strong>グレン</strong>：「私も南三陸町や石巻市に行きましたが、現地の被災状況に大きなショックを受けました。海外ではもうあまり日本の地震について報道されなくなっていますが、まだまだ支援が必要だと実感しました。」</p>
<p class="default">Q.被災地で特に印象的だったことは？<br /><strong>ナエル</strong>：「被災地の人々は、本当に大変な状況の中、掃除でもなんでも、自分にできることをしています。また、お互いに協力し合って暮らしています。その姿に心が動かされました。だから自分もできることをやろうと思いました。」<br /><strong>グレン</strong>：「南三陸町の中学校での炊き出しに参加したときのことです。学校の周囲は建物がすべて流され、瓦礫ばかりが広がっていました。人の姿がほとんど見えなかったので、こんなところで炊き出しをして大丈夫かと心配しましたが、いざ始まるとたくさん人が集まってきてくれて、とても喜んでもらえたのでほっとしました。その後、子どもたちと一緒にバスケットボールをしたのも良い思い出です。」</p>
</div>
<h2 class="default">「アメリカに戻ったら、仲間に日本のことを伝えます」</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img title="古い布団は新しいものと交換しました" src="/activity/blog/images/blog1108_723_3withpeople.jpg" alt="避難所の衛生活動に参加するナエルさんとグレンさん" width="250" height="167" /></div>
<p class="caption">避難所の大掃除をして新しい布団をお届けしました（後列左端がナエルさん、後列右端がグレンさん。2011年7月5日。宮城県石巻市蛤浜にて）</p>
</div>
<p class="default">Q.これからの予定は？<br /><strong>ナエル</strong>：「高校時代にお世話になったホストファミリーに会ってからアメリカに戻ります。日本の人たちはみんな親切で、難民を助ける会のスタッフの皆さんも私にいろいろ教えてくれました。とても良い経験をさせてもらいました。被災地の皆さんにもお礼を言いたいです。ありがとうございました。大変だと思いますが、これからもずっと努力していってほしいと思っています。」<br /><strong>グレン</strong>：「ぼくも、九州を旅行してからアメリカに帰ります。大学に戻ったら、日本での経験を授業で発表し、多くの仲間に日本の現状を知ってもらいたいと思います。」</p>
<p class="default">2人とも、2ヵ月足らずの滞在中にめきめきと日本語が上達し、東京事務所でも被災地でも大活躍してくれました。ナエルさんは英語のほかフランス語とアラビア語も堪能な、穏やかな青年。グレンさんは友達と富士山に登頂し朝日を拝むなどアウトドア派です。日本が大変なときに、海外から来てくれた2人の気持ちがとても嬉しかったです。アメリカに戻っても、ますます活躍してください。</p>
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>ハイチの日本語教室から</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/2011/0722_704.html" />
    <id>tag:admin.aarjapan.gr.jp,2011:/activity/blog//4.704</id>

    <published>2011-07-22T03:07:24Z</published>
    <updated>2011-07-22T03:07:24Z</updated>

    <summary>2010年1月の大地震から1年半が経ったハイチ。復興がなかなか進まず大変な中でも、日本の震災のことも心配してくれています。そんなハイチで日本語教室が人気。駐在員の丸山徹也がお伝えします。</summary>
    
        <category term="ハイチ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.aarjapan.gr.jp/activity/blog/">
        <![CDATA[<h2 class="default">日本の首都は上海？</h2>
<p class="default">ハイチでは日本のことを知っている人はほとんどいません。日本の首都は上海だ！と自信を持って答える人によく遭遇します。カンフー映画がとても人気で、町を歩いていると、「ジェット・リー！」「ジャッキー・チェン！」と声をかけられない日はありません。</p>
<p class="default">その一方、同じ震災国として日本への関心はとても高く、ハイチ人と話していると日本の原発の状況や震災後の復興を我が国のことのように見守っている様子が伝わってきます。私も「日本にいる家族は大丈夫か」と心配され、ハイチへ支援に来ているはずなのに、お互い支えられているんだなあ、と実感しました。</p>
<h2 class="default">ハイチで日本語を教えています</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="leftImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1107_704_3teacher.jpg" alt="教壇で折り紙を実演する丸山徹也" width="250" height="333" /></div>
<p class="caption">今日は折り紙を教えます。日本語教室で教壇に立つ駐在員の丸山徹也</p>
</div>
<p class="default">ハイチの人たちは語学習得にとても熱心です。国語であるハイチクレオール語、フランス語に加えて、英語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語など多言語を話す人が多く、街のいたる所で語学教室の看板が目に留まります。</p>
<p class="default">私は今年の2月からボランティアとして毎週土曜日、日本語を教えるお手伝いをしています。フレデリックさんというハイチ人が去年から始めた日本語教室で、生徒数は40人ほど。会場は大統領府の近くにある小学校で、参加者の年齢は下は13歳から上は35歳まで様々です。現在では日本語を教えるだけでなく、作法や礼儀を含む日本文化全体の紹介を目的として活動しています。</p>
</div>
<h2 class="default">限りある中での日本語指導</h2>
<div class="fBlockA02">
<div class="rightImage">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1107_704_2students.jpg" alt="完成した折り紙を手にする日本語学校の生徒たち" width="250" height="188" /></div>
<p class="caption">かぶと、手裏剣などの折り紙が完成！</p>
</div>
<p class="default">授業中は質問が教室中を飛び交い、和気あいあいとした雰囲気です。上級レベルの生徒はひらがなをすでに習い終えて、漢字を教えてくれと言ってくるなど、こちらも驚くような速さで上達しています。きちんとした教科書は高額で、生徒全員が手の届くものではないので、限りある教材で工夫を凝らして授業を行っています。「赤い靴」「翼をください」などの日本の歌も教えました。折り紙教室では鶴を折るのに手こずっていたようですが、完成するとみんな喜んではしゃいでいました。</p>
</div>
<h2 class="default">日本語人気のわけは？</h2>
<p class="default">それにしても日本の企業も進出していないハイチで、なぜ日本語が人気なのでしょうか？　実は彼らにとって外国語を話すことは海外でより良い教育を受ける機会に繋がるのです。フレデリックさんも文部科学省の奨学生として岡山大学に留学していましたし、他にも日本での留学経験があるという方に数名会いました。ハイチと日本は、実は教育で深く繋がっているのです。</p>
<p class="default">ハイチという国は日本からとても遠いですが、様々な共通点があります。島国であり、緑が生い茂る山々があり、田舎に行けば水源が豊富な田園地帯やハッとするほど美しい海の景色があります。これからも様々な文化交流を通じて日本のことをもっと知ってもらえれば良いな、と思っています。</p>
<div class="pBlockA01">
<div class="col1">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1107_704_4classroom.jpg" alt="教室で慣れない折り紙に取り組む生徒たち" width="300" height="225" /></div>
<p class="caption">折り紙に取り組む生徒たち。左が教室創設者のフレデリックさん</p>
</div>
<div class="col2">
<div class="image"><img src="/activity/blog/images/blog1107_704_1president.jpg" alt="倒壊したままの大統領府" width="300" height="225" /></div>
<p class="caption">首都ポルトープランスの大統領府。地震で倒壊したまま、いまだに撤去が進んでいない</p>
</div>
</div>]]>
        
    </content>
</entry>

</feed>

