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東日本大震災(39):巡回バスで病院へ、学校へ!

2011年04月28日  日本緊急支援
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地域住民の足、巡回バスを運行

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荻浜地区の海沿いの道。2号線から側道に入ると、今も車1台通るのがやっとという道が続く(宮城県石巻市、2011年4月26日)

難民を助ける会では、宮城県石巻市の牡鹿半島で巡回バスの運営を支援しています。巡回しているのは、半島の入口に位置する萩浜地区と、南端にある鮎川地区の2地区です。
もともと半島から病院やショッピングセンターのある石巻市の市街地までは、半島を縦断している県道2号線を走る路線バスが利用されており、2号線から離れた地域は中型の住民バスが巡回していました。しかし2号線に続く道路が震災で亀裂や陥没が見られて中型バスが通れなくなり、また多くの方が自家用車を津波で流され、両地区の方々は通院や買い物、また通学の足にも困るようになっていました。

「震災後はじめて街に出られました」

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東浜小学校バス停から帰宅のために乗車する子どもたち。4月21日に学校が再開しました(宮城県石巻市、2011年4月26日)

そこで難民を助ける会が車両を提供し、現地のミヤコーバスとおしかパブリックサービスとの共同で4月10日から巡回バスの運営を開始しました。狭くなった道路でも通れるよう、10人乗 りのワゴン車を用い、萩浜地区では車両2台、鮎川地区では1台で、1日2便ずつ運行しています。どちらも運賃は無料。ラジオや避難所で運行開始をアナウン スしました。

萩浜地区では、半島の「福貴浦」という場所から、市街地にある日赤病院まで、約1時間半の道のりを毎日2往復しています。途中のバス停は、石巻駅や小学校、中学校、また買物に便利なよう、ショッピングセンター前にも停まります。
バスを利用した75歳の女性は、「ラジオで巡回バスの運行開始を知った時、震災後一度も市の中心部に行っていないので、とてもうれしかった」と涙を浮かべてお話しくださいました。

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住民の方がバス停の看板を手作りしてくれていました(宮城県石巻市、2011年4月11日)

半島の南端にある鮎川地区では、2号線を走る路線バスのバス停までの足として、地域を細かく回っています。避難所から自宅に戻る人が増えたことで、高齢者の多いこの地域では点在する家々をまわるバスの重要性はより増しています。
また、現在では1日2便の運行スケジュールの合間に、スクールバスとしても活躍しています。
被災者の方々が日常を早く取り戻せるよう、これからもバスを走らせてまいります。

※支援活動にあたっては、企業や団体、学校、個人の皆さまよりご寄付や物資のご提供などのご協力をいただいて行っております。すべての方々をご紹介することができませんが、何卒ご容赦ください。皆さまのあたたかいご協力に心より感謝申し上げます。

緊急募金にご協力ください

皆さまのお気持ちを、被災された方々に確実にお届けします。どうぞご協力をお願いいたします。

郵便振替: 00100-9-600 加入者名: 難民を助ける会
*通信欄に「東日本大震災」とご記入ください。*領収証が必要な方はその旨お書きください。

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【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

緊急支援チーム(看護師・保健師) 永井 萌子

大学卒業後、3年間病院で勤務。その後1年間米国へ語学留学し、帰国後2年間保育園で看護師として勤務。(東京都出身)

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