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シリア危機の現場から(3)―母語を伝える教室

2015年02月17日  シリア難民支援トルコ
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難民キャンプ内の学校でクルド語を学ぶ子どもたち(トルコ・スルチュ、2014年12月)

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クルド語を教えるアミーナさん

周囲を壁で囲まれた敷地の中には土色のテントが並んでいる。その一角にある大型のテントを覗くと40人ほどの子どもたちが大きな声をあげながらクルド語の発音練習を行っていた。いすと机は揃っているものの、筆記用具も教科書もない。ホワイトボードに書かれた文字を見ながら発音練習をするだけのとても簡素な授業だけれども、生徒たちはとても楽しそうだ。

ここはトルコ南部の町スルチュにあるクルド人難民キャンプ。2014年12月2日、待ちに待った学校が始まった。まだ電気も通っていなければ子どもたちの教科書も揃っていないが、トルコに避難して以来何もすることがなかった子どもたちにとっては大きな喜びに違いない。

子どもたちの前では一人の女性が教鞭をとっている。先生の名はアミーナさん(21歳)。紛争状態にあるアインアルアラブ(クルド名コバニ)から逃れて来た。アミーナさんは弁護士を目指し大学で法律を学んでいたが、「イスラム国」の台頭で人生を変えられてしまった。

シリア革命後も大学では授業が続けられていたが、大学のあるアレッポまでの幹線道路が「イスラム国」の支配下に落ちた。ある日大学へ向かう途中、武器を持ったひげ面の男に強制的に車を停止させられたアミーナさん。乱暴に肩をつかまれ車から引き降ろされると、服装がイスラムに反すると咎められた。ヒジャブ(ベール)をかぶってはいたが肌を一部見せていたためだ。

どこから来てどこへ向かっているのか? クルド人かそれともアラブ人か? クルドのどの勢力に所属しているか? など矢継ぎ早に尋問された。敵対する武装勢力の関係者ではないことが判明したため解放されたが、暴力を振るわれ奴隷にされるのではないかと恐怖で足が震えたそうだ。それ以降、彼女は一人で外出する事を避け、大学も辞めてしまった。

内向的になり家に籠りがちになっていた彼女だが、このままではいけないとコバニの小学校でクルド語を教えることを決め、先生になるためのトレーニングを支援団体から受けた。シリアではクルド語の教育が禁止されていたが、紛争状態に突入し中央政府の監視が緩くなったため、クルド文化の普及を目的に活動を始める団体も出てきた。ただし教師たちは無給のボランティア。紛争が始まってからは物価が急上昇し、生活は苦しくなる一方だったが、アミーナさんはやりがいを感じながら意欲的に授業を続けていた。

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授業の合間に笑顔を見せる生徒たちと先生

しかしその喜びも長くはなかった。アミーナさんの父親は中古車販売業を営んでいたが、内戦のため営業を中止せざるを得なくなった。貯金を切り崩し、生活を切り詰める窮屈な生活を強いられていたところに、「イスラム国」の戦闘員がやってきた。彼らは無慈悲に動物を殺害し、町の木々を切り倒したり家を壊すなどの蛮行におよんだ。2ヵ月半前、とうとうコバニの町は本格的な戦闘状態に陥り、一家は住み慣れた土地を捨てスルチュに避難したのだ。

現在アミーナさんは家族とともにスルチュの難民キャンプに暮らしながら、キャンプ内の学校で授業を行っている。学校が始まったことに喜びを感じつつも彼女は「こんなところで勉強をするなんて本来は自然なことではありません。シリアに戻り整った環境で子どもたちに勉強させてあげたい」と生徒たちの将来を心配していた。

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アミーナ先生の生徒の一人

解説:「クルド人」とは / AARシリア難民支援事業担当 景平義文

クルド人は、国を持たない世界最大の民族と言われています。第一次大戦後、オスマン帝国の領土がイギリスやフランスなどによって分割された際、クルド人国家の設立が一度は約束されました。しかし、その約束は後に反故にされました。オスマントルコ帝国の崩壊後、次々と独立国家が生まれていく中、クルド人はその流れから取り残されてしまいました。その結果、クルド人の居住地域はシリア、トルコ、イラク、イランなど多くの国にまたがっており、その数は約3,000万人にものぼります。

クルド人はどの国においても少数派の民族となってしまい、多数派の民族から様々な形で差別され、迫害を受けてきました。シリアにおいてクルド語の勉強が禁じられていたのもその一つです。長きに亘る差別的な扱いから脱却するため、各国に住むクルド人はそれぞれ独立や自治権の獲得に向けて運動を続けてきました。そのため、クルド人の民族的団結はとても強固です。シリアに住むクルド人は自分たちのことを、その国籍であるシリア人としてよりも、「クルド人」として強く意識しています。

シリア危機は、政府側と反政府側の衝突により始まりましたが、クルド人はどちらか一方の側に立つことはありませんでした。シリア全体が混乱する中で、自分たちの地位向上を狙い、独自の勢力を形成しました。クルド人は政府側でも反政府側でもなく、あくまでクルド人側なのです。クルド人が多く居住するコバニは、クルド人勢力の重要な拠点の一つとなり、防衛のための武装勢力も組織されました。クルド人による自治を求め、多くのクルド人が各地からコバニに集まった結果、シリア危機以前には約5万人だった人口は、「イスラム国」によるコバニ侵攻前には40万人とも言われるまでに増加しました。

コバニでの自治の確立を目指したクルド人でしたが、その経済基盤が弱いものであるため、「イスラム国」の軍事力に対抗することができず、一時期コバニは失陥寸前まで追いつめられました。イラクのクルド人武装勢力や、アメリカなどによる空爆の支援を受け、2015年1月に「イスラム国」の撃退に成功しましたが、コバニの町は完全に破壊されてしまいました。オスマントルコ帝国末期に周囲の国の都合に翻弄されたクルド人は、100年を経た現在でも翻弄され続けているのです。

※シリアの政治状況に鑑み、登場する方々やその家族に不利益の生じないよう、仮名を使用しています。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

 川畑嘉文

フォトジャーナリスト。世界各地を訪問して、雑誌などに写真と文章を寄稿している。2014年、5枚組写真「シリア難民の子どもたち」がJPS(日本写真家協会)主催コンテストで金賞を受賞。著書に『フォトジャーナリストが見た世界 - 地を這うのが仕事』(新評論出版)。

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