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AAR創立40周年、相馬雪香前会長の10回目の命日に寄せて(下)

2018年11月30日  日本
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AARの東京事務所で撮影。後方では職員がパソコンに向かって仕事をしています

AAR会長の柳瀬房子

1979年11月24日に活動を開始したAAR Japan[難民を助ける会](当時インドシナ難民を助ける会)。
発足半年後に事務局長だった父が亡くなり、私が後任に任命されました。相馬先生のご学友の常磐会(学習院華族女学校中・高の同窓会)の年配のおば様方(三菱の岩崎さん、川崎重工の川崎さん、ブリヂストンの石橋さん、松平さん、東園さん、元華族の方などなど...)がお手伝いくださり、うら若き(?)私のPTA仲間も集い、事務局は歩みはじめました。全員がボランティアです。

街頭で相馬雪香前会長とともにアフガニスタン難民への募金を呼びかける筆者

アフガニスタン難民支援を呼びかける街頭募金。相馬雪香前会長(中央)と筆者(左端)(1982年)

前回の記事で国際協力の専門家は吹浦特別顧問(現)だけと記しましたが、発起人は錚々たる各界の重鎮です。
この方々には得意分野での協力を提案し、例えば企業の役員の方には広報での資金協力を、学校関係者には保護者との交流や私学連盟に紹介いただくなど、どの方もご自分の関係者を惜しみなく紹介くださり積極的に関わってくださいました。
それでも正直、日々苦しかったです。当り前ですが誰もがお財布を簡単に開いてくださるわけではないのですから。資金難に追い詰められたことは、数えきれないほどあります。共感していただければ、きっと共鳴してくださると信じ、創意と工夫を重ね、会の運営に頭を悩ませながらも何とか継続してきました。

私にとって活動の原動力は、奇跡的に日本にたどり着いた難民の皆さんの生きる姿勢でした。そして、日本の若者が「私たちの支援を待ち望んでいる人がいるから」と危険を顧みず、世界の隅々へと出発する姿もまたそのひとつでした。ひと回りもふた回りも大きくなって帰国し、また次のステージに旅立つ生き方、きっと自分には出来ない行動力に魅かれるもの、憧憬があったからこそでしょう。

また、創立当初から現在もご寄付を継続してくださる方々がいて、同様に事務局でお手伝いしてくださるボランティアの皆さんがいてこそ活動を続けられています。安月給にめげず日夜働く職員、どのような時にも、信頼してくださる方々が身近にいたら、私が「いち抜けた!」と辞めるわけにはいかないではないですか。

30年を過ぎたころからでしょうか、信用が定着しましたね。長有紀枝さんに理事長をお願いし、新たなAARがスタートしました。彼女もまた、立教大学の教授であり、AARボランティア(無償)の役員です。スタッフも増えました。

自分の意思で次のステップを選択できる人がとても羨ましく思うこともありましたが、いつしかAARの活動を使命と捉えられるようになりました。誰もが経験できるわけではないことを経験し、何十倍、何百倍もの体験と、素晴らしい人々に囲まれ、AARの40年間の歳月に感謝の念でいっぱいです。
AARでは、辛いことですが5名の駐在員が活動中に病気や事故でお亡くなりになりました。その方々のことも忘れずに日々努力しなければと思います。

改めまして、創立当初から現在まで、会をお支えくださった皆さまに心より御礼申し上げますとともに、今後もそれぞれの立場でAARをお支えくださいますよう衷心よりお願い致します。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

○○事務所 AAR会長 柳瀬 房子

1979年からAARで活動を始め、専務理事・事務局長を経て2000年11月から2008年6月よりAAR理事長。2009年6月より会長。1996年より対人地雷廃絶キャンペーン絵本『地雷ではなく花をください』を執筆し、同年、多年にわたる国際協力活動により、外務大臣表彰を受ける。1997年には、『地雷ではなく花をください』により日本絵本読者賞を受賞。

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