活動ニュース

サイクロン被災からの真の復興に向けて ―支援のこれまでとこれから―

2009年04月06日  ミャンマー緊急支援
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難民を助ける会は、1999年、ミャンマー(ビルマ)の最大都市ヤンゴン(ラングーン)に事務所を開設し、翌年から障害者のための職業訓練校を運営しています。2008年5月2日にミャンマーを襲った大型サイクロンの被害に対しては、被災直後からスタッフを派遣し、現在も復興支援活動を続けています。今回は、災害支援の推移と今後の予定について報告します。

被災直後、速く確実に届いた日本からの支援

配布の様子

支援物資を受け取り、喜ぶ被災者。現地障害者団体のリーダー(左)とともに配布。中央は野際

2008年5月2日から3日にかけてミャンマー(ビルマ)南部を襲ったサイクロンは、死傷者約15万人、被災者約240万人にのぼる凄まじいものでした。被災直後のヤンゴンでは木々や電柱の8割以上がなぎ倒され、連日「早く、食料を」と被災者からの声が現地事務所に届いていました。直ちに現地に入った難民を助ける会は、世帯毎に緊急支援物資を直接配布。8月末までの約4ヵ月間で、19,331世帯(約9万人)に、食料や飲料水、ビニールシートなどの緊急支援物資を届けることができました。

活動を保健医療・栄養改善・障害者支援に拡大

簡易医療施設の設置:14棟、障害者の診察:444名、基本食・肥料セットの配布:全12,322世帯など

被災地エヤワディ管区の130村における支援実績(2008年9月-2009年1月)

被災から4ヵ月が経つと、人々のニーズも変化してきました。それに応えるため、2008年9月から、被害の大きかったエヤワディ管区で(1)保健医療サービス・心のケア、(2)栄養改善(食料・肥料の配布と栄養教育)、(3)障害理解促進の三つの活動を実施しました。

活動の特長は、保健医療や障害者支援、心のケアなど、様々な専門知識を持つスタッフを1つのチームにまとめ、そのチームが被災地の村を回りながら、多面的な支援活動を行うことにあります。被災地のなかでも、船やボートを使わなければ行くことのできないような交通アクセスの悪い地域を中心に、1ヵ所に2週間程度滞在しながら、2008年9月から2009年1月末までの5ヵ月間、130の村々で支援を実施しました。

医療施設の建設

村民たちの自発的な協力で簡易医療施設の建設が進みました

医師による診察

完成した施設で医師による診察が行われます。保健医療ボランティアも活躍

支援物資を受け取る被災者たち

 配布された米や豆、油などの食糧に喜ぶ被災者

障害者理解のワークショップにて

障害に関する理解を促すワークショップの教材を真剣に読む男の子

ポイントは「連携」。様々な機関・団体と一致団結!

村の様子

ボーガレー地区デニエピュ村。740人中600人以上が死亡し、農具も漁具も全て流されてしまいました

村ごと流されてしまったような被災地に行くと、あまりの課題の多さに圧倒されそうになります。でも、この状況に立ち向かうための方法があります。それは「様々な機関・団体、そして被災地の人々と協力すること」。難民を助ける会は、今まで培ったネットワークを活かして現地NGOと一緒に活動したり、国連・政府機関やNGOが集う定例会議へ毎週参加するなどして、協力の輪を広げながら活動を進めてきました。

新たな課題と新たな支援

歩行練習の様子

難民を助ける会が提供した平行棒で歩行練習するのが大好きなミャー・チョーエインちゃん(中央)

これまでの緊急支援を通して、二つの大きな課題が見えてきました。一つは、被災地域の高い失業率です。被災者の多くは、稲作や漁業で生計を立てていた貧困世帯です。サイクロンで船や田畑を失い、支援を実施した村では人口の9割が安定した収入を得ることができず、その日暮らしを続けています。彼らが一日も早く生活を立て直すことができるよう、漁業や農業に必要な道具の提供など、生活再建支援のための準備を進めています。

もう一つの課題は、障害者を取り巻く困難な状況です。もともと被災地域では障害者に対する偏見が根強く、障害を持つ人の多くが適切な処置を受ける機会もなく、家に閉じこもりがちになっています。また、障害児が学校へ行きたくても、階段があって学校や教室へ入れません。

そこで、これまでのミャンマーでの障害者支援の経験を活かし、2009年2月から、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)事業を開始しました。補装具の提供やリハビリ訓練などの支援を継続するほか、学校施設のバリアフリー化、適切な医療施設の紹介、障害者自助組織の支援、さらには障害者に対する偏見をなくしていくための啓発活動などを実施していく予定です。

サイクロンからの真の復興と発展のため、また障害を持つ方々を含む全ての人々にとってよりよい社会を実現するため、難民を助ける会はこれからもミャンマーで活動を続けていきます。これまでの皆さまからの温かい支援に御礼申し上げますとともに、今後の益々のご支援をお願いいたします。

CBR事業をまとめるミャンマー人のスタッフ、ネイリンソウから手紙が届きました

みなさまへ、 こんにちは。わたしはAAR-Japan、CBRプロジェクトのマネージャ、ネイリンソウです。わたしたちのプロジェクトはAAR-Japanがしえんされています。スタッフ8人で、4人がしょうがいしゃです。 サイクロンのひがいされたちいきで3つのちいきをちゅうしんにやっています。しょうがいしゃにひつようなサービスをくばる、ほかのひとといっしょにさんかできるようになるのはもくてきです。 わたしたちのくにには、ほとんどのしょうがいしゃたちがいろいろなばめんでさんかできなくてのこされています。こんなしょうがいしゃたちのため、AAR-Japanとドナーのみなさまからしえんされて、ほんとうにありがとうございます。これからもよろしくおねがいいたします。

ネイリンソウ:2006年から、難民を助ける会が支援するミャンマー「子どもの家」のスタッフ。2009年2月より難民を助ける会に出向し、CBR事業のマネージャーを務める

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

ミャンマー事務所 野際 紗綾子

2005年4月より東京事務所スタッフ。アジア事業を担当。ミャンマーサイクロン被害の発生直後から、被災者支援活動を担当している。(東京都出身)

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