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この子の未来が見えません ミャンマー・サイクロンの悲劇から1年...

2009年07月03日  ミャンマー緊急支援
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難民を助ける会は、1999年からミャンマー(ビルマ)に事務所をもち、障害者支援を実施しています。

2008年5月、ミャンマー(ビルマ)に甚大な被害をもたらした大型サイクロン。
皆さまからお寄せいただいたご寄付で、難民を助ける会はただちに緊急支援を実施。約12万人に物資を届けることができました。しかし、被災地はいまだに復興がならず、苦しみの中にいます。被災地の「いま」を知ってください。

あまりに厳しい現実

ミャンマーの被災地はいまだ復興がならず、栄養不足の子どもたちが苦しんでいます

脳性マヒを患う6歳のメイ・タジン・ビューちゃん。漁師だった父はサイクロンでボートと網を流され失業。日雇いの仕事を求めて不在の両親に代わり、叔母がメイちゃんの面倒をみている。食事は援助に頼りきり。いつもお腹をすかせ、会うたびにやせ細っていた。

2008年5月2日から3日未明にミャンマー(ビルマ)を大型サイクロン「ナルギス」が直撃し、死者84,537人、行方不明者53,836人(ミャンマー政府発表)、被災者は240万人(国連推計)にのぼりました。

特に被害の大きかったデルタ地域は、零細な農業や漁業で生計を立てていた貧困地域です。収穫したばかりの農作物はすべて流され、農業や漁業のための道具や家畜までも失い、人々は生計を立てる術を失いました。最大の被災地のひとつ、ボーガレー地区では、被災後の米の収穫は例年の半分以下。人口の実に9割の人たちが、周辺地域での石運びなどの不安定な日雇い労働で日々をしのいでいます。多くの人が支援団体からの食糧の配給で命をつないでいる村もあります。

しかしいま、被災から1年が経ち、多くの援助団体が緊急支援を終え、ミャンマーを去ろうとしています。いま生業を再開することができなければ、貧困はますます深刻さを増し、復興をとげることはさらに困難になります。

難民を助ける会は支援活動を続けて参ります

難民を助ける会は、サイクロン被災直後からスタッフの野際紗綾子を現地に派遣し、現地の団体と協力しながら被災者支援を行なってきました。2008年8月末までの4ヵ月間で、19,331世帯(約9万人)に食料や水などの緊急支援物資を配布。9月以降は、劣悪な環境下に暮らす被災者・障害者のための保健医療、栄養改善支援などを実施しました。

今後は被災地からの強い要望にこたえ、特に貧困の深刻な地域で、漁業用の網やかご、農業のための種や肥料、家畜など、生業に必要な物資を提供するほか、漁業や農業の技術トレーニングなどを実施します。それにより、被災者が一日も早く自ら生活する力を取り戻せるよう、支援を続けてまいります。

廃材を利用した掘っ立て小屋で雨露をしのぐ村人たち

海岸沿いに位置するティンガンジー村では、全村民910人の3分の2にあたる600人以上がなくなった。生き残った人々は、廃材をかき集めて作った掘っ立て小屋に今も暮らしている

家を建て直す材料もありません

建具となる木々も流されてしまったため、屋根や壁には緊急支援として配られたビニールシートが使われ、気温37度を越える中、家の中は一日中耐え難い湿気と暑さに包まれていた

ボートも網もなく、漁師には大きな打撃だ

 漁に必要なボートや網は、ほとんどが流されたり壊れたりしてしまった。破れた網を使って浅瀬で漁をするしかない人たちは、漁獲量も現金収入もほんのわずかだ

漁に出るボートさえあれば・・・

重たい石や米を運ぶ日雇いの仕事で3人の幼子を育てるアウンさん(24歳)。「漁に出るボートさえあれば・・・」伏し目がちにつぶやいた

支援者のみなさまへ ― 野際 紗綾子

壁も床もない仮住まいのティン・ウィンさん一家

ティン・ウィンさん一家は、ほろで雨風をしのぐだけで精一杯だった

「この子の将来を思い描けないのです」
2009年3月、支援物資の配布に訪れたティンガンジー村に住むティン・ウィンさん(41歳)は、意気消沈した様子で私につぶやきました。

壁も床もない家の中には、3歳になる娘が米と干し魚を混ぜただけのご飯を、地べたに座って物足りなさそうにつまんでいました。

お腹いっぱい食べられない子どもが被災地には大勢います

「この子にお腹いっぱいご飯を食べさせてあげたい…」と語る母親のティン・ウィンさん

「娘にお腹いっぱい食べさせたくても、家を建て直したくてもできません。私には仕事がないのです。このままでは将来この娘を学校に行かせることもできません」

大災害のなか命をとりとめ、これまで復興に向けて頑張っていた被災者が、絶望にさいなまれている事実を目の当たりにして、私はやるせない思いでいっぱいになりました。

そして、仕事の創出を通じて被災者の方々が未来をキャンバスに描けるような復興支援を、一刻も早く始める必要を強く感じました。ご支援のほど、どうかよろしくお願い申し上げます。

支援への感謝を込めて・・・

大変な中で無事生まれてきてくれました

生後間もないAARくんと両親

サイクロン直撃から5ヵ月経った2008年9月29日、最大の被災地ラプタ地区ティンガンジー村で、元気な男の子が産声をあげました。

「サイクロンに襲われたときは妊娠5ヵ月、あまりの恐ろしさに必死に逃げました。実家の家族5人は今も見つかっていません。悲しみと、初めての出産で不安でしたが、難民を助ける会が派遣してくれた医師や助産師がそばにいてくれて、本当に嬉しかったです」と、母親のフラ・フラ・チョーさん(24歳)。

困難を乗り越えて大きく育って欲しい

2009年3月、AARくんは元気でした

感謝の気持ちを込めて、子どもに難民を助ける会の略称である「エー・エー・アール(AAR)」と名づけてくれました。

皆さまのご支援によりAARくんは健やかに育っています。しかし、厳しい貧困の現実は、AARくん一家も例外ではありません。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

ミャンマー事務所 野際 紗綾子

2005年4月より東京事務所スタッフとしてアジア事業を担当。2008年5月のミャンマーサイクロン被害の発生直後から、被災者支援活動に従事している。(東京都出身)

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