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ケニア:難民 それぞれの物語1~シーファさん~

2018年04月27日  ケニア緊急支援
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クーリエ・ジャポンで連載中のAARの記事を、編集部のご厚意により、AARのウエブサイトでも掲載させていただいています。

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2018年1月、AAR Japan[難民を助ける会]の活動地であるケニアとザンビアを訪問した、広報部長の伊藤かおり。難民の方から伺った話を、連載でご報告します。

「日本に帰ったら、必ずあなたの話をみんなに伝えます」。

訪問した先々で、何人もの人に「私の話を日本の人に伝えてほしい」と訴えられ、わかりました、と私は約束しました。彼らが伝えたいことのごくごく一部分でしかありませんが、その約束を果たしたいと思います。

難民居住地のコミュニティづくりに参加した理由は...

人が難民になるには、様々ないきさつがあります。1月に訪れたAARの活動地のひとつ、ケニアのカロベイエ難民居住区で、私はシーファさんというコンゴ民主共和国出身の21歳の女性に出会いました。

広大な砂漠に、ビニールで作られた居住地が点在しています

できたばかりのカロベイエ新難民居住区は、インフラの整備はまだまだこれからです(撮影日はすべて、2018年1月14日)

カロベイエは2016年にできたはかりの新しい居住区で、インフラの整備もまだまだこれからです。さらに、居住区が位置するトゥルカナ県はケニアの中でも特に貧しく、難民だけでなく地元住民のためにもなる居住区づくりが課題でした。そこでAARは、難民と地域住民がともに利用できるコミュニティセンターづくりを、難民と地域住民とともに行っています。シーファさんはそのメンバーのひとりです。この事業を担当したAARのケニア人スタッフが、「とても熱心なメンバーがいるから」と、彼女に会わせてくれたのです。

住居の前に立つ、シーファさん

母国からはるか遠くまで逃げてきても、今でも追っての陰におびえて暮らすシーファさん

シーファさんは、この活動のユニフォームであるAARのTシャツを着て出迎えてくれました。私は、日々の暮らしだけで大変なはずなのに、地域貢献まで進んで参加していることに感心し、その理由を尋ねました。すると、予想しなかった答えが返ってきました。

「何か少しでもすることがほしかったんです。何もしないでいると辛いことを思い出して、苦しくなってしまうから......」そうして、彼女の体験を語ってくれました。

誘拐、復讐、逃亡

シーファさんはコンゴでは、父親と義母、兄弟姉妹とともに暮らし、高校にも通うごく普通の生活を送っていたといいます。しかしある日、彼女は身代金目当ての誘拐事件に巻き込まれます。「犯人は今もわかりませんが、父は車の販売を手掛けていてお金も持っていたから、それを知っていた誰かでしょう」。父親は策を講じ、贋金を渡してシーファさんを救出。2か月間身を隠してから、もう大丈夫だろうと自宅に戻りました。しかしその直後、犯人たちが銃をもって家を襲いました。父親は銃をつきつけられ、娘のシーファさんをレイプしろと迫られました。それを拒否すると、犯人たちはそばにいた義母を射殺して逃走。すると今度は、殺された義母の親族たちがこのことを逆恨みし、シーファさんと父親に復讐しようとしているという話が耳に入ってきました。ふたりは大急ぎで逃げましたが、その途中で父親とははぐれてしまいました。シーファさんは助けてくれた教会の女性に薦められ、国を出ることを決意。女性の助言に従って、義母の親族の手が及ばないよう、ルワンダ、ウガンダを経て、ケニアまで逃げ続けました。そうして気づけば、難民と呼ばれる身の上になっていたのです。

実母と並んで写真に写るシーファさん

娘のためにケニアまで一緒に暮らしに来てくれた実母(右)とシーファさん(左)

不安と絶望のなかで

こんなに遠くまで逃れてきても、シーファさんは今でも「いつか見つけ出されるのではないか」という恐怖心を抱きながら暮らしています。そんな中で唯一の幸運は、生みの母親と再会できたことでした。彼女を助けてくれた教会の女性が、別れて暮らしていた生母もケニアに行けるように奔走してくれたのです。いまシーファさんは、実の母親と、母が連れてきた兄の2人の娘との4人で暮らしています。ビニールシートで囲われた12畳ほどのテントは、中央を布地で仕切って寝室と台所兼居間とに分けて使っています。電気や水道はなく、家財道具と呼べるものも、まだほとんどありません。祖国での自宅の台所について聞くと、「水道があって冷蔵庫もあって...」と、日本の一般的な住宅と変わらないような説明でした。

ざるや鍋など数点が、重ねてキッチンの床に置かれています

テントの片隅にあるキッチン。昨年来たばかりで、家財道具もほとんどありません

それ以上にシーファさんが気にしていたのは、周囲の環境です。「ここは家の周りに柵もなくて、家はビニールだから、鍵をかけてもいつでも誰でも入ってこれてしまうのが不安です」。作られたばかりのこの居住地は、広大な砂漠にテントが点在しており、視界を遮るものもほとんどありません。同じ難民とはいっても、13もの国々から集まった、見ず知らずの人たちです。女性と子どもだけの世帯は、より不安に違いありません。この先どうしようと考えているか聞くと、「隣のカクマ難民キャンプで英語を学べる講座が無料で受けられると聞いたので通いたいけれど、遠いし交通機関もないし...」と口ごもってしまいました。カクマとカロベイエの間には30kmの砂漠が広がっており、確かに通うのは困難ですが、方法がないわけではありません。今も続く恐怖と変わり果てた暮らしは、シーファさんから希望を奪ってしまったように見えました。「悪いことを思い出さずにすむように」という理由であれ、AARとの活動ではひときわ熱心さを見せていたシーファさんのことですから、希望を持てさえずれば、カロベイエでの厳しい環境でもきっと頑張りぬいてくれるのではないかと思います。

帰り際、シーファさんの話を日本の人たちに伝えても構わないか、聞きました。彼女は小さい声ながらも迷わずに言いました。「伝えてください。写真も公開して構いません。私の身に何が起きたか、知ってほしいんです」カロベイエだけで約4万人にのぼる難民のひとりひとりに、こうした物語がついてまわっていることを、あらためて思いました。

深刻そうな面持ちで、AAR駐在員の兼山と話すシーファさん

「お父さんがどうしているのか、まったくわかりません」とシーファさん。左はAARケニア駐在員の兼山優希

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

東京事務局 広報部長 伊藤かおり

2007年11月より東京事務局で広報・支援者担当。国内のNGOに約8年勤務後、AARへ。静岡県出身

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