駐在員・事務局員日記

パキスタン地震:冬を前に途方にくれる人々に早くできることを!

2005年10月01日  パキスタン
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執筆者

東京事務局
紺野 誠二

記事掲載時のプロフィールです

10月8日に発生したパキスタン地震。東京事務局の紺野がいち早く被災地に入り、状況を確認しました。現地からの報告です。

実る稲穂を前に崩れた家々

道路もない地域は人が物資を運びます

道路もない地域は人が物資を運ぶしかない

10月13日、パキスタンのイスラマバードの北西辺境州マンセラからさらに北上し、多くの団体が向かう中国まで続くカラコルム・ハイウェイ沿いの町バーラコートを避けて細い道を行く。こちらで活動し始めた大手国際NGOも向かうと聞いたためだ。また、今回協力してくれるパキスタンの団体NCHD(National Commission for Human Development)のスタッフに聞いた話だと、この細い道沿いに被害が広まっているとのこと。しかも、道路は寸断されており、昨日まではヘリコプターを使ってしか輸送手段がなかったとのこと。さすがに現地事情に詳しい団体だけある。こういうときに一番頼りになるのは、当然といえば当然かもしれないが地元の団体。

細い坂道を登っていく。峡谷。川が流れ、ところどころに棚田が見える。稲穂がそよぎ、もうすぐ米の収穫を迎えるようだ。山が聳え立っている。本当にすばらしい風景。トレッキングにでも行きたくなるくらい美しいところだ。 ちょっと進むと左手は断崖絶壁が川まで続き、右手にはがけ。大きな石がごろごろしている。昨日までは道路が寸断されていた地帯を進む。石が上からころころと転がってくる。肝を冷やす瞬間だ。

想像していたよりも川幅は狭い

跡形もない家々(筆者)

山道を登れば登るほど壊れた住居が目立ってくる。グシャとつぶれた家屋。テントも目立ってくる。道路沿いに人々の姿が目立つ。家を失い、支援物資を求めている人々。そんな中、ところどころでパキスタン各地から支援物資を持って駆けつけた人たちが配布を行なっている。ただ、正直言ってあまりきちんとなされているとは言いがたい。人が群がってしまって、収拾がつかなくなっている。善意の気持ちは分かるし、一刻も早く何とかしたいという気持ちは一緒だけれど、ある程度コントロールされないと危険でもあるし、不平等感も生まれやすい。気をつけないといけない。

4万人が住むサッチャの村へ徒歩で

地震の恐ろしさを実感します

瓦礫の山(サッチャ村)

マンセラから2時間半。ついに行き止まりに遭遇。これ以上は車で進めない。理由はもちろんがけ崩れ。パキスタン政府のショベルカーが道路を開通させるべく懸命の作業を行なっているが、今日中の開通はないだろうとのこと。 この道路から先には二つの行政地域で合わせて45の村があり、40000人が住むという。道路が寸断されているので、アクセスはない。ただ歩くしか方法はない。

パキスタン軍もサッチャの村の手前で物資配布を行なっている。サッチャやその先の村々から人々がやってくる。道路がないのでがけを下りて川べりまで出て、またがけを上って、といった感じだ。本当にそれだけで一苦労だ。時々ベッドを担いだ男たちを見かける。家族か親戚か誰かが負傷したのだろう。道路が使えないからがけをベッド担いで往来するしかない。一つ間違えば担いでいる人だって大怪我しかねない。

がけを上り下りすること30分、サッチャの村に着く。サッチャの行政地域には20の村がある。とりあえずこのあたりでは住民も多く、家が250軒あるといっていた。ただ、見渡した範囲でまともに建っている家は皆無。すべての家が被災しているといっていい。被災の程度もそれぞれだが、つぶれたモスク、半壊したコミュニティ・センターとクリニック、そして跡形もない学校。この村でなくなられた方もいらっしゃると聞いた。確かに助からないだろう。亡くなられた方のご冥福を祈りたい。

私自身はスリランカの津波支援にも行っているので少しはこのような光景には慣れている。スリランカの場合は、家の痕跡すらないという感じだったが、ここではつぶれた瓦礫の山があるといった感じだ。どちらも悲惨なことには変わりない。

もてなしの心を忘れない人々

家が壊れているのにもてなそうとしてくれた

話を伺ったアリさん

村を歩いていると多くの人が「こんにちは」と声をかけてくる。外国人が珍しいのかもしれない。しかも道路がまだ開通していないところまでやってくる外国人なんていないかな余計そう思うのかもしれない。

歩いていると気のいい地元の人と話しになる。「そうか、日本から来たのか。せっかくだから家によっていきなさい。私たちはラマダンなので食事をするわけには行かないけれど、せっかくきてくれたんだから、食事をしていってくれ。お茶も飲んで行ったらどうだ?」なんだか笑いたいような、泣きたいような気分になる。もちろんこの人も被災して自宅は壊れている。そんな中、遠来の客である私たちに何らかのもてなしをしようとする人々。ありがたいような、そんなことしている場合じゃないだろう、というような気がする。頼むから援助物資を我々のために使うのはどうかやめて欲しい、と思い、「大丈夫、水もパンもあるから」と答える。

これからどうやって復旧していけばいい?

瓦礫に埋もれてしまったアリさんの家。これからどうやって復旧していけばいい?

村のおじさんたちに話を聞く。被災したときには20~30キロ離れた町にいた人もいれば、家にいた人もいる。バザールで買物していた人もいる。急いで逃げて無事だった人たちだ。おじさんたちが口々に言う。「今一番欲しいのはテント。今は外で寝るしかないから。」確かに言われるとおりだ。ただ、パキスタンには今テントはまったくない。大都市で売っているテントもすべて援助物資となっている。

「とにかく何にも配給を受けていない。食べ物も、服も、毛布も何もかもない。今日は近くまで配布しに来ているけれど、一週間近く何も受け取っていない。」道路がなければアクセスもできないので被害状況もまったく分からないし、物資もほとんど届かない。

「もうすぐ冬になる。12月の後半には雪が降りはじめ、50センチから1メートル積もる。その前に家も必要だし、体を暖めるものも必要。なんでもかんでも必要だ」との話を聞く。

子どもたち、スリランカのときとはかなり違っているように思う。被災してから3週間近くたってからスリランカ入りしたからかもしれないが、ぱっと見るとすごく元気なのだけれど、地震におびえている。小さい女の子に「今一番何がしたい?」と聞いたら、泣き出してしまった。そして小さな声で「地震が起こらないで欲しい」と一言。「学校に行きたいけど学校は壊れてしまったので行けない。」「友だちに会いたいけど、学校にいて地震にあったら恐いからとりあえずは家にいる。」「クリケットをしたいけど、やっぱり恐い」。一様に地震を恐がっている。そんなときに余震。グラグラっと来る。被災していない私でもびくびくするくらいだから、子どもたちの心情は計り知れない。

広場の近所に住んでいるアリさんの自宅に連れて行ってもらう。完璧に壊れている。兄弟5人の家族、合計で35人が26部屋の大きな家に住んでいたそうだが、跡形もない。どうしようもないくらいに壊れている。瓦礫、壊れた食器しかない。アリさんもご兄弟の一人を土砂崩れで亡くされたという。さすがにかける言葉が見つからない。そんなときにもグラッと来る。かなわない。

合宿で使うような水入れに水を汲んでいる子どもを見かけたので話を聞く。もともと水道があったこの村ではあるが、被災したため断水。水汲みに来ているという。川が眼下に流れているが、飲むには適さない。今のところ下痢はしていないけれど、のどが痛く風邪を引いているとのこと。他の子も同じように言っていた。山岳地帯だから夜には冷えるのだろう。肺炎になる子も出てきているとの話を聞いた。本当にやらなければいけないことが山ほどある。

支援が行き届かない村へ-急ぐ

笑顔のかげに地震への恐怖が

友達に会いたいけど学校へ行って地震がまたきたら怖い、と話す女の子

サッチャの村から先には4万人が住むという。ただ、道路は開通しておらず、支援物資を取りに来るのも一苦労。近い人は何とか歩いてこられるが、遠くの村の人や山の中に住んでいる人はどうにもならない。

加えて国際社会からの支援が皆無。まったくない。全然ない。ここまで誰も支援に来ていない場所ははじめてだ。細い山道を行き来した数時間でパキスタンの政府とNGOは見かけたが、それ以外で見かけたのは国連のWHOのランドクルーザー一台きり。

とにかくできることをできるだけ早くしないといけない。まずはできるだけ早くイスラマバードに戻って、ラワルピンディに行って物資の調達だ。のんびりしている場合はない。

黄金色の稲穂。桃源郷のような世界で苦しみ、途方にくれる人々。まずできることをできるだけ早くやらないといけない。そう思った。

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