駐在員・事務局員日記

理事長ブログ第46回「創立40周年記念講演:40年、その先への挑戦にあたって(後編)」

2019年09月18日  理事長ブログ
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執筆者

長 有紀枝

2008年7月よりAAR理事長。2009年4月より立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科教授。2010年4月より立教大学社会学部教授(茨城県出身)

記事掲載時のプロフィールです

AAR理事長、長有紀枝のブログです。

 創立40周年記念講演「40年、その先への挑戦にあたって」(前編)では国際協力における日本の立ち位置やAARをはじめとする日本のNGOを取り巻く環境についてお話しました。今回は講演の後半部分をお届けします。(前編はこちら)

これからのAAR

 さて、こうした流れの中で、40 周年を迎えたAAR は今後どうあるべきか。私は不偏不党の、皆様の募金に支えられる日本のNGO として、国際協力活動を行うAAR は、日本の社会の「公共財」であり、社会に不可欠な存在として、より成長していかなければならないと考えています。それはAAR や日本生まれのNGO だけが素晴らしいからではなくて、フランスで生まれた国境なき医師団(MSF) がフランスの社会に不可欠な存在であるように、イギリスで生まれたOXFAM やバングラデシュで生まれたBRAC がそれぞれの社会で不可欠な存在であるように、AAR も日本になくてはならないのだということです。


 先ほど私は冷戦時代までは国家や国連機関が国際社会の主な構成員で、国際法でも主な主体であったけれど、冷戦後は企業やNGO も重要なアクターになっていると申し上げました。これは何も国家や国連機関の地位が下がった、不要になったなどと申しているわけではなく、その地位は変わらないけれど、それだけでは国際社会は成り立たない、それら伝統的な主体を補完するものとして、市民社会組織や企業による国際的な活動、取り組みなしには、もういかなる課題も解決できない時代に入っていると思います。また、国際社会の中で、日本はやはり特異な重要な地位を占めており、AAR も常に、財政的に綱渡りの運営が続いていますが、主要な日本のNGO として、決して潰れてはいけない、存在し続けなければいけないと思っています。


 個人的なお話をすることも許していただけるならば、理事長である、私自身のミッション、使命の一つは、図々しいと思われるかもしれませんが、民間の立場から、国際社会の中での日本の立ち位置を考えていくことです。私は、相馬先生やAAR に出会い、吹浦忠正特別顧問の様々な活動を間近で見て、日本の在るべき姿、立ち位置を考えるのは政治家や外交官、官僚の方々の専売特許ではなく、民の私たち自身の仕事でもあるのだ、ということを学び、そして、まさにAARの活動を通じて意識するようになりました。先ほど、AAR は「公共財」と申しましたが、「公共」という概念を考える際に、日本はやはり特殊だと思っています。たとえばアメリカのパブリック・ライブラリーの典型であるニューヨーク公共図書館は、国立とか市立とかではなく、一般の方々がおカネを出し合って運営する「公共」です。それに対して、日本のパブリックというとイコール「お上」という意識がまだまだ強いように思います。


 相馬先生がAAR を創った時の象徴的なエピソードがあります。ご存知の通り、相馬先生は尾崎咢堂(行雄)の三女で、政治家や外務省の偉い方々とお知り合いでした。AAR の活動を始めるにあたり、外務省の高官に会いに行き「今これだけ日本に難民が流れ着いているのだから、難民支援を一緒にやりましょう」と持ちかけたところ、先方から「難民支援は官の仕事だから、民は余計なことをしなくて良い」と言われたそうです。41 年前はこういった方も多かったのです。その時、明治女の相馬先生は「それならよござんす」と椅子を蹴って席を立ったと。私の大好きなエピソードで、何て格好良いと思うのですが、「だったら、勝手にやります」と言って立ち上げたのがAAR であり、AAR は最初から民が支え、民が担う「パブリック・公共」の部分を持ち続けているのだと思います。


 日本ではおカネにならない公のことをすると「将来、政治家になろうと思ってるんじゃないの」とか「何か野心や下心があるんじゃないかしら」とか、思われる場合もあるかと思います。しかし、そんな雑音ははねのけ、普通の方が「普通の市民として当然のことをしたい」とボランティアとして集まり、「普通の市民として何かできることをしたい」という方々が支援者として支えて下さり、AAR は40 年を迎えたのだと思います。

 「お上」ではない日本の「公共」の実践者として、AARはこれからも存在し続けねばならないと思うのですが、今後のAAR を考える時に2 つの道があると考えています。

 ひとつは、国際NGO として日本の色をできる限り消していくということです。職員との間でいつも議論になるのですが、日本のNGO であることを強調するべきではないのではないか、という声が強くあります。なぜかと言うと、AARを海外で支えてくれているのは、日本人職員よりも圧倒的に多い現地の職員たちであり、日本のNGO で働けて嬉しいという現地職員もいれば、(AAR が国際的なNGO として認知されている証拠でもありますが)、別に日本とは関係なく難民支援や障がい者支援に関わりたいという人たちもいます。

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カブール事務所のヤマ・ハカミ(左)とナデル・シャー(右)と一緒に。ナデル・シャーは、9歳のときに自宅近くで不発弾事故に遭い、両腕と右目を失いました

 また、本部から派遣される国際職員は日本人が中心ですが、それは日本の資金が中心で、申請書から報告書まで日本語で書かなければならないことが大きいのですが、他方でアメリカ政府や国連からの助成もあり、こちらの報告は全て英語です。日本経済のⅤ字回復が期待できない以上、もっと海外からの助成金を増やしていかなければ活動が立ち行かないとなると、英語が母語の外国籍の職員を増やす必要があります。また安全管理上、外務省のお金をもらう以上、日本人職員の駐在が認められない地域も多々あります。そうなると、あまり日本、日本と言うのは良くないんじゃないかという主張で、ある意味これは当然の流れではないかと思っています。

 他方で、私は日本人として、あるいはAAR の成り立ちを踏まえて、日本のNGO であることを忘れてはならないと考えます。日本のNGO だからこそ持つバックグラウンド、つまり、アメリカの資金で立ち直った日本、第二次世界大戦から復興した日本、広島・長崎を経験した、戦争による唯一の被爆国としての日本、戦争の加害者としての記憶がある日本、そういったものをすべて背負った上で、それを知った上で活動するべきだと思っています。


 以前、海外の大学で「日本の国際NGO の特色を話してほしい」と言われ、日本の国際協力NGO の特色のひとつは「過去との断絶」であると申し上げました。ヨーロッパのNGO の中には、第二次世界大戦中のナチスのユダヤ人大虐殺を常に念頭に置いていて、その時に民間の団体や赤十字国際委員会がどういう活動をし、何ができなかったのか、それはなぜなのかを考え、そこを原点として活動している団体が多くあります。他方で、言い方が悪いかも知れませんが、日本の場合は第二次大戦と隔絶することで自分たちの正当性を保っている、例えばあえて慰安婦などの問題に触れずに、国際協力だけに特化するのが特徴のひとつになっているように思います。過去の問題に触れた瞬間に「政治的な団体」という烙印を押されて、国際協力の活動ができなくなるということがあるかも知れませんし、私を含めて多くの日本人職員が日本の歴史を背負う「日本人としての私」よりも、「国際人・地球人としての私」からスタートして、こうした国際協力に携わり始めたように思います。

難民キャンプの中で4名の笑顔の子どもに日本人女性が囲まれている

バングラデシュの難民キャンプで支援をする日本人職員

青空のもと支援物資を渡す日本人職員と物資を受け取り笑顔の難民の女性

ケニアの難民キャンプで支援物資を渡す日本人職員

 相馬先生がこの会を設立した時の発想はどれだけ時を経ようと重要です。「日本が第二次世界大戦に突き進んだのは、世界で孤立してしまったからだ。日本を二度と世界から孤立した存在にしてはならない」という父・尾崎咢堂の言葉が念頭にあり、難民支援を通じて日本を世界の孤児にしないという強い信念があったんですね。私たちはこの原点を忘れるべきではないと思います。

 関連して2 点、付け加えたいことがございます。実は地雷の活動を始めた時から気になっていたことがありました。地雷禁止条約ができた1997 年は、化学兵器禁止条約が発効した年でもあります。今は「ウサギ島」として観光スポットになっている広島県の大久野島、別名「毒ガス島」ですが、この島で戦争中に作った毒ガスがどこに行ったかと言うと、中国にたくさん埋まっています。日本は化学兵器禁止条約に批准し、その責務として遺棄化学兵器の処理を2000 年に開始して、今でも粛々と行っているんですね。南京、武漢、吉林省で2022年を終了目標に作業が進められています。

 他方で、私たちが関わった対人地雷問題は、(日本の地雷は武器輸出三原則で海外に輸出されていませんから) 他国が埋めた地雷です。日本が第二次世界大戦中に遺棄した化学兵器で被害者が出ている時に、日本のNGO がカンボジアの地雷除去で良いのか、と思ったことがあります。政治的に何も関係ないところで地雷に取り組み、まさに日本の化学兵器で中国では現在も被害者が出続けているのに、何もしなくてよいのかという思いです。この問題は日本政府が取り組んでいますし、NGO にとって化学兵器の回収は専門分野が違いますが、こうした問題があることも忘れてはいけないと思っています。


 もう一つ、個人的なことですが、1990 年代、AARの駐在員として旧ユーゴスラビア地域におりましたが、その時にボスニア・ヘルツェゴヴィナのスレブレニツァという町で大虐殺が起きました。直接目撃した訳ではありませんが、今も私はその研究を続けており、今年、現地のセルビア人側(加害者側) の政府が立ち上げた独立調査委員会の委員に任命されまして、来週また現地に行くのですが、日本が、中国や韓国との問題を解決していないのに、日本人として全然関係ないことだけやっていていいのか、と先の遺棄化学兵器の問題と同様のジレンマを感じることがあります。しかし、その一方で、スレブレニツァと縁ができたのは、すべてAAR の活動が原点です。

 であるならば、関わり続けることは、AAR の活動の延長であり、そのことの意味を積極的に見出すなら、日本人として、こうして、スレブレニツァの真実究明や和解について関わることは日本が、周りの国々とより良い関係を築いていく方法を模索する際の何かの材料になるのではないか。そういう思いも込めて取り組んでおります。

 AARは今後、皆さまのご支援を受けつつ、なくてはならない団体として活動を続けてまいりたいと思いますので、どうぞお見守りいただきますようにお願い申し上げます。どうもありがとうございました。


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