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ラオス:自立への一歩を踏み出す

2016年07月20日  ラオス障がい者支援
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仕事につき、収入を得て自立した生活を送る。そんな当たり前に聞こえるようなことも、障がいのある人にとっては大変なことです。特に政府による障がい者への就労支援のないラオスでは、障がい者が仕事を得られる機会は非常に限られています。
この状況を少しでも改善しようと、AAR Japan[難民を助ける会]は2014年から現地の市民団体・ラオス障がい者協会(LDPA)と連携し、障がいのある人が自宅でできる小規模の起業活動を支援しています。これまでに、キノコの栽培やナマズの養殖、裁縫の支援を行い、2015年12月からは新たな取り組みとして、コオロギの養殖事業を開始しました。

なぜコオロギ?

日本人にとって食材としては馴染みのないコオロギですが、ラオスでは日常的に食べられており、市場に行くと素揚げされたコオロギをよく目にします。また、国際連合食糧農業機関(FAO)でも昆虫は高品質のタンパク質やビタミン、アミノ酸を含む食物として評価されており、内陸にあるラオスでは、貴重な栄養源となっています。さらにほかの農作物に比べ比較的市場での競争もゆるやかで、養殖には重労働を必要としないため、障がいがあっても取り組みやすいと考えました。

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順調にコオロギを育てることができているかモニタリングをするAARの大城(2016年5月24日)

コオロギの養殖事業は、ラオス・ビエンチャン県に住む障がい者14名を対象に開始しました。対象者は、主に20代から50代の身体または知的障がいのある方々です。まず最初に地元の農業学校から講師を招き、コオロギの生態や日々の飼育方法などを指導しました。

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日本では食材として馴染みのないコオロギも貴重な栄養源に(2016年5月24日)

その後、コオロギを飼育するための木製の籠(上写真)を作り、コオロギの卵など養殖に必要な資材を配付しました。時期にもよりますが、コオロギは一般的に2ヵ月程度で卵から成虫になり(左写真)、この成虫を近隣の住民に販売することになります。活動を開始して4ヵ月。順調にコオロギを育てることができているかどうか、家々を訪ねてみました。

売り上げは家計の大きな助けに

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障がい者が仕事を見つけることが難しい村でもコオロギの養殖なら自宅で自分たちでできる、と自立への一歩を踏み出したペットくんの家族(2016年5月24日)

ペットくん(16歳、右写真・左から2人目)は生まれつき知的障がいがあり、会話を理解することはできますが、話すことができません。学校にも行けず家の中で過ごす毎日でしたが、今はコオロギ養殖に夢中です。両親の協力を得ながら、毎日家の周りの草を集めてコオロギに与えています。ペットくんの父親は不発弾の被害者で、今も体に鉄の破片が埋まっており、重労働をすることができません。コオロギ養殖の収入はひと月で約2,000円。これは1ヵ月分のお米を買うことができる金額で、家族の日々の食費をまかなうための大事なお金になっています。ペットくんのお父さんは、「村では障がい者が仕事を見つけることは難しい。息子と協力して活動を続け、もっともっとたくさんコオロギを育てて家族を助けたい」と言っていました。

「貧しい私でも地域の役に立てた」

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貧しくても地域の役立つことができた!と笑顔のバイさん(2016年5月24日)

幼いころにポリオを患い、右足に障がいが残ってしまったバイさん(53歳、左写真)は、歩くことが困難にもかかわらず、ほかに仕事もなく家庭が貧しいため、体に無理をして農作業を行っていました。今ではコオロギ養殖に積極的で、現地職員が訪問するたび飼育や販売の方法などを熱心に聞いてきます。敬虔な仏教徒のバイさんは、初めて育てたコオロギを素揚げにして近くの寺院に寄付したといいます。「貧しい私でも地域の役に立つことが、とても嬉しかった」と笑顔で語ってくれました。

「お金を貯めて家を改築したい」

8年前に事故にあい、左足を切断し、耳が聞こえなくなってしまったフアンさん(41歳、下写真)は、一番熱心にコオロギ養殖に励んでいます。コオロギは自然交配により卵がとれるため、卵があるかぎりはコオロギを買い足す必要はありません。フアンさんは自分なりに工夫を凝らしてコオロギの自然交配を促し、今では養殖用の籠を一つ増やしてより多くのコオロギを育てています。「もっともっとコオロギを育てて、古くなった家の改築工事の費用にあてたいんだ」。そう言ってフアンさんは自慢げに大きく育ったコオロギを見せてくれました。事故で障がいのある体になりながらも、笑顔を絶やさず明るく生きるフアンさん。私たちの活動が、そんなフアンさんを後押しできているのかなと勇気づけられました。

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事故で左足を失い、耳が聞こえなくとも弾けるような笑顔がとても印象的(2016年5月24日)

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誰よりも熱心なフアンさん。自分なりに自然交配に工夫を凝らす努力も(2016年5月24日)

今まで家に閉じこもっていた障がいのある人たちが、地域の一員として少しでも自立した生活を送ることができるよう、AARではこれからも起業活動を見守っていきます。

【報告者】 記事掲載時のプロフィールです

ラオス・ビエンチャン事務所 大城洋作

2015年2月より現職。民間企業を経て、世界一周の旅へ。途上国の人々の貧しい生活を目の当たりにし、少しでも力になりたいと2014年4月にAARへ。沖縄県出身

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